――この一刀のために。

私には中学時代からの親友がいる。彼が私をどう思っているか知らないが、少なくとも私は彼を親友だと思っている。中学高校の6年間は私の人生上、最も黒い絵の具で重ね塗りされている領域であるが、しかし彼と共に過ごせたという点だけにおいてのみ、価値のあるものだった。そう言い切れる。

 

彼はきちんと高校卒業後に大学進学、そしてすぐ就職して今は社会人をしている。立派だ。私とは格が違う。

 

江戸川乱歩先生の作品に「蟲」という短編があるが、その主人公と友人の関係がちょうど私と彼の関係に近い。

 

私が影なら、彼が光で。彼が現世なら、私は夢の中。

 

もはや眩しくて直視などできない。

 

そんな彼が言っていたとある台詞を思い出した。そして私をさいなむのだ。

「この一刀のために」と。

 

彼は大学入学後に居合道部に入った。それから大学卒業までずっと在籍することになる。

 

とある居合道の大会で、彼は自分よりも格上の相手とあたった。おそらく勝てない。負ける。そのプレッシャーの中、抜いた一太刀こそが、「この一刀」だ。

 

彼の居合道生活で最も優れた一太刀であった。その瞬間、自分の魂は確実に輝いていたと、彼は私に語っていた。

 

結果、彼は格上の相手に勝利を収めた。その一刀を指して、彼はこう言った。

 

「――この一刀のために、居合道を始めたんだ」

 

私が小説を書き始めたのは中学生のころからであって、すでに10年を超えている。では私にあっただろうか。この一文を書くために小説を書き始めたんだなんて言える、一文が。

 

無い。

 

無いのだ。

 

私は彼のことが眩しくてしょうがない。そして彼の言葉が私をさいなみ苦しめる。「この瞬間のためだけに今まで積み重ねがあったんだ」なんてセリフ、言う場所がない。

 

彼はことあるごとに私に語っていた。「一瞬で燃え尽きるように死にたい。花火みたいに」彼の人生観は、「魂燃やし尽くし、美しく輝ける瞬間さえあればそれでいい」というものだ。そのためなら命も捨てて構わないなんて彼は言う。花火みたいに散って、花火みたいに死にたい、と。

 

美しいな、と思う。それと同時に私には無理だな、と思う。

 

私の中に渦巻く邪悪さだとか陰湿さだとかが、それを許さないのだろう。こればっかりは仕方がない。

 

彼が闇夜で光り輝き多くの人々の目に留まる花火だというなら、私はじめじめした石の下でウゾウゾとしている蟲なのだ。誰の目にも留まらず、飛ぶ翅も持たず。ただその無駄に多い肢でウゾウゾウゾと土の上を這うくらいしかできぬ。私はそういう生き物なのだろう。

 

 

――ただ、こういう蟲にかぎって毒腺を持つものだ。その一刺しは鋭く、痛く、きっと赤く腫れる。場合によっては死に至る。

 

私を苦しめてやまないこの運命とやらに、一矢報いたいものだ。この毒牙で。もう私にはこの暗鬱で醜悪な毒牙しか武器は残されていない。でもそれだけあるなら十分じゃないのか。何も残されていないわけじゃない。小説を書く上では、この世界を呪うような暗鬱さや醜悪さは武器になる。

「この一咬みのために、私の人生はあったのだ」そう言える瞬間のために、私は牙を研いでおこう。より陰鬱で、より邪悪で、きっと呪わしい牙を。

なんて。