カルペ・ディエム

ウィキペディアサーフィンやっててこの言葉に辿り着いた。なるほどな、と思う。

 

メメント・モリと似ているがある種対になる語だそうだ。

 

メメント・モリといえばヨシさんの句が記憶に新しい

 

――銀蠅がメメントモリと騒ぎけり

(再掲)

 

 

メメント・モリは「死を想え」などと訳される。バロックに影響を与えた思想だと。かつて中世ヨーロッパでは伝染病や戦争などでいつ死ぬかわからない身の上から、死というものを強く意識した思想が発達した。

 

メメント・モリは現世での悦びなど空虚なものでしかないと諭す語だ。どれだけ富を積み上げたとて死んでしまえばあの世に富を持ちこめはしない。この世など空虚なものだ。よって死後救済のためによりよく生きましょうと、言う。

ちょっと般若心経の「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」と似ている。

 


かえってカルペ・ディエムは「その日の花を摘め」と訳される。メメント・モリと同じく死を意識しているものの、着地点自体はもはや逆方向だ。「いつ死ぬかわからないんだから今日を楽しく生きましょう」と。

 

メメント・モリが「この世の快楽など空虚なんだから」と禁欲的な方向へ進んだのに対し、カルペ・ディエムは「明日死ぬかもしれないし今日を愉しもう」と快楽的な方向へ進む。中々面白い。

 

私はカルペ・ディエムの方だなあ、と思う。今日の積み重ねが未来になっていくのなら、一日一日を大切にしていくべきだし。山奥ニートは割と一日をぞんざいに扱いがちなので、今一度気を引き締めないとなあとも思う。

 

親鸞の言った、「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」と被る様に思う。夜中に嵐が来て桜が散ってしまうかもしれないのだから、明日があるなんて思ってはいけないと。なるほどな。

 

蝉鳴けりカルペディエムの染む夕日

秋雷

 

今日一日を善く生きよう。山奥ニートなのだから。