物語るとは?

小説を書くとは「物語る」ことなのだろうけど、では何をもってして物語ると言うのか?

 

たとえば、

「朝起きて朝食を食べて外出した」

これは物語として成り立っているだろうか? いや成り立たない。ただの日常だ。

 

「朝起きたら眼鏡が見当たらない。見えづらい状態で探してみれば飼い犬の寝床にあった。盗まれていたらしい」

これくらいなら物語としてあり得るのではないか。「いやー、今朝起きてみたらさぁ……」などという切り出し方で他人に披露することができる。

 

 

物語とは「日常」→「非日常」→「日常」を描くこと。この最初の日常から非日常へのプロセスを「喪失」と言い、非日常から日常へのプロセスを「回復」などと呼ぶと何かの教本で習った。上記の例で言えば、眼鏡が「喪失」して、探した挙句飼い犬の寝床で見つけて「回復」した。

 

では何故に人間は「喪失」→「回復」の流れを物語として認識するのか。そのルーツは狩猟にさかのぼるのでないかと私は思う。

 

原始の人類が、狩りをして得た獲物を住処に持ち帰る。そこで待つ子らに「今日の獲物は手ごわかった。私は槍を持って彼らと対峙し――」と獲物を獲った際の出来事を物語ったのが原初の物語ではないかと思う。それを聞いて興味深く感じた子だけが獲物の上手い獲り方を物語から取得する。人が物語を面白いと感じるのは、そうある必要があった故の進化ってやつなんじゃないか? 面白いと思った子だけは父の経験を自分の中に取り込むことができる。実際にやってみた時に父の経験があれば、その経験の無い者よりも上手い事できるだろう。

 

総じて物語は何かを獲得したり成長したりするものが多い。得るモノがあるからこそ物語として成り立つ。それは自身の経験として取り入れるため。RPGの経験値稼ぎ、レベル上げみたいなものだ。

 

で、あれば答えは自ずと見えてくる。例えば地位を「喪失」した青年がその失った地位を「回復」する物語なんかはいくらでも例があるだろう。昔話やおとぎ話では貧乏なものが最終的に裕福になったり権力を持ったりする話は多い。

 

逆に悪い主人公がひどい目にあう物語というのもある。それはそれで読者としては「得るモノ」がある。反面教師というか、寓話的というか。悪いことをすると酷い目にあううんだぞ、ということを学べたというだけで中々に得るモノが多いと言えよう。

 

読者が経験値として、学習できる内容こそが物語である。と、思う。

 

で、あれば。私が読者に学んでほしいこととはなんだろう。

 

あくまでもエンターテイメントとして、だ。教養小説なんか書く気はない。「面白い」と思われて読者に取り込まれる「学習」や「経験値」とは何なのか。ふうむ。

 

 

梅雨止まず筆も進まず答出ず               秋雷