山奥ニートだけど、アイドルの結婚騒動について世間が騒いでいるのを不思議に思う

山奥だとニュースとか全然見なくなる。どうでもいいからだ。

和歌山の山奥からすれば、ニュースの中の出来事は「所詮、下界の騒動」であってどうも他人事みたいになってしまう。親元で働いていた時に隣国との関係だとか政治家の不始末だとか、自分勝手な犯罪だとかのニュースを見るにつけ、一々業腹だったものだが、今や何とも思わない。仙人の境地だ。

 

仙界で生きる私からすれば、下界の騒動など、すべからく他人事。

 

であるが、どうもここ最近(?)、アイドルが結婚宣言したことで何か色々と騒動を起こしているらしい。

 

まあ最近じゃないかもだけど。結構前の話かも。山奥だとニュースが遅れてやってくるからしょうがない(言い訳)

 

個人的にアイドルというものにとんと興味がないためよくわからないのだが、何かバッシングを食らっているようだ。結婚宣言はよくない事だったようである。

 

わからない。

 

ファンを裏切った、などという文を見たが、どの辺が裏切りなのだろうか。

 

たとえば犯罪行為などを指してファンへの裏切りとするのはわかる。反社会的行動は罰されるべきである。人を殺しました。盗みを働きました。性犯罪をしました。こういうのは裏切りと言ってよかろう。他人を害し傷つける行為を平気で行える者だったという事実は、応援してきたファンからすれば騙されたと感じてもおかしくはない。

 

だが結婚なら別にいいじゃないか?

 

だって悪い事じゃない。というか、普通に良いことだ。他人が結婚するのをおめでとうおめでとうと言うじゃないか。結婚はおめでたいことだ。喜ばしいことだ。男女の仲睦まじいのは神世の昔から良い事とされてるじゃないか。

 

よくわからない。

 

そもそもアイドルを好きになったことがないのでファンの心理がよくわからない。まずどういう心境でファンなったのか?

顔が良いから? 歌声が良いから? 人となりが良いから? でも結婚したとて顔のよさや歌声や人となりが損なわれるわけではないじゃないか。

 

ファンだと言うのなら、おめでとうと言ってやれよと思う。好きな人の幸福を素直に祝福できないのであればファンではないのじゃないか。

 

なんかアイドルをキャバレークラブに例えて、「キャバ嬢のために高い酒を開けてやったのにそのあと結婚しますなんて言われたようなもん」などと言った芸能人もいたそうだけど、それもよくわからない。別にキャバ嬢が結婚してて良いんじゃないか。

 

これまた私はキャバレークラブに行ったことがないためよくわからないけど。でもキャバクラもそこで働く女性と会話を愉しむために行く場所だったはず。キャバ嬢が未婚か既婚かは会話の質に影響しない――いなや、むしろ既婚の方が様々な経験から会話の質が向上するのではないか。未婚では知りえない苦労を積んだが故に辿り着く会話術ってのはあると思う。

 

アイドルだってそうだろ? 既婚であるがゆえに知ったこと、経験したこと。そういうのを歌や踊りに生かせれば、未婚のアイドルよりも強みとなろう?

 

よくわからない。

 

小説やその他芸術――表現の世界では、童貞や処女は軽んじられる。自分が童貞であるが故にその「性経験のないものの表現には艶がない」などと言った上から押さえつけるがごとき差別には逆らいたくなるが、とはいえ経験の有無で言えば、無いよりは有った方が作品に生かされるだろうというのは否定できない。人殺しの経験すら、作家業には役に立つ。まあその前に捕まって牢屋行きだろうが。

宮沢賢治が終生童貞だった(非童貞説もあるが)というのを見て、まあ童貞には童貞なりの世界というのもあって、悪かないんじゃないのかと言い訳がましく思う。ま、この辺の話はまた今度。

 

表現者としては強みになると言われる結婚の二文字も、アイドルやキャバ嬢にとっては足かせとなるのか。とはいえアイドルもキャバ嬢も表現者なのではと思うのだが。どうも男性社会特有の処女信仰がここにおいて発揮されているんじゃないのかと思えてならない。

 

アイドルは処女でなければならない。結婚してはならない。これは女性蔑視の考えでないのか。いわゆる男どもの掲げる処女信仰の犠牲であるのに。アイドルは私の都合よく生娘でなければならない。恋愛は禁止であって結婚などもってのほかだというのは女性の自由を奪った考えではないのか。

 

そういえば福山ロスの時も不思議に思ったなあ。そう考えてみれば男女問わずか。結局、女性の間にも童貞信仰があるのだろうか。

 

自分などは、アイドルやキャバ嬢に興味はないのだが、幾人かの小説家のファンではある。とはいえその小説家が結婚していたと聞いて「騙された、詐欺だ」などと思うことは無い(まあ当然だろうが)。

 

小説家とアイドルは違うだろ、と言うかもしれないが……ではどこが違うと言うのか。私はその人の小説を読んで夢中となり、アイドルのファンはその歌を聴いて夢中になる。

 

ま、肝心な事を避けて書いているのだから平行線になるに決まっている。アイドルやキャバ嬢は「恋愛」が絡んでくる。疑似恋愛とかいうやつだ。当たり前だが、私は憧れの小説家に疑似恋愛を求めることはないので、これを同列にするのは間違いなのだろうさ。

 

ただ個人的に疑似恋愛というのもよくわからんもんだ。疑似というからには恋愛とは一線を画す、ごっこ遊びの恋愛なのだろう? であれば別に既婚者相手でもいいと思うのだけど。浮気だとか不倫だとかは倫理に外れた行いなのだろうけど、疑似恋愛というロールプレイングであれば別にいいんでないかい? っていうか、相手の承諾を得ずに「勝手に疑似恋愛の対称に仕立て上げて」おいて、その者が結婚したら怒ったり悲しんだりするなんて。えらい自分勝手でないかい? これもよくわからない。

アイドルだとか福山雅治だとかが結婚するからって、どうしてそう騒ぐのか。それもいい歳した大人が。

 

自分も童貞であるが別に人に恋したことがないわけでない。普通に恋愛くらいしたことがある。悲しいかな一方通行であったが。その人は聡く美しい女性であった。普通に振られたけど。その振る時すら細心の注意を払って私の面目をできうる限り潰さぬよう気遣ってくれた。聡明な女性はまず配慮から。私は彼女のことが好きだったことを後悔してない。惚れて当然の美しい人だったのだから。

しかして、では私の恋した彼女が結婚したと聞いて憤るかと問われれば、そんなことはない。少しショックは受けるだろうが、でも祝福するだろう。そりゃ、自分が好きだった人が幸せになるのならそれは幸いだ。おめでたいじゃないか。たぶんその夜は酒を多く飲むけど。

 

であるから、私は思うのだ。人を好きだと思うのは、相手の幸福を祈ることだと。好きだった相手が幸福になるのであれば祝福すべきなのだ。そこを怒ったり悲しんだりするのは、結局、好きではなかったからだろう。「自分に都合の良い恋愛対象であってほしい」という自分勝手な邪欲による感情を指して、「好き」という美しい言葉を使ってほしくない。

 

 

若い娘が結婚するといって祝福できずに叩く世の中だ。そりゃ晩婚化も進むし少子化も進む。まあ晩婚化少子化については自分も寄与してしまっているため何とも言えないけど。

 

梅雨の朝ニュースに小首かしげたり       秋雷

 

ここまであのアイドルがバッシングを食うと言うのは、人里は私の言う「自分勝手な邪欲」にまみれた空間なのだろう。ますます山奥にひきこもりたくなる。ここは平和だ。