百蟲俳句「蛍の句」

「蛍」という季語は非常に良い働きをする。私が季語の働きを説明するためによく持ち出すのが「蛍」という語だ。

 

・まず夏の季語である。

・時間を書かずとも夜であることが容易に想像できる。

・場所は川のそばであろうことが想像できる。それも清流であるため周りは自然豊か。

 

と、蛍という一語のみで季節と時間帯とロケーションを示すことができる。蛍と書かれた途端に、夜の田舎の川が脳裏に浮かぶ。その川のせせらぎすら聴こえてきそうである。

 

 

深読みしすぎだと思うだろうか? しかし俳句とはそういうものだ。何の気なしに書かれたような一語によって、実は深い物語が展開される。たかが17音ぽっちで芸術たりうるわけだから、それだけの深さがあるものなのだ。

 

季語の持つ力をどれだけ信じられるか。それこそ俳句初心者の壁であると言えよう。私もよくわかってないので何とも言えないが、でも何となしに作れば作るほどうまくなっている気はする。

 

【秋雷】

 

・宵蛍くたり眠り子背負いけり

コメント:何故か父親目線の句。子供と蛍狩りにやってきたが子供は寝てしまった。それを背負いながら、おっと、少し重くなったかななんて言っている句。微妙。


・背負われて見たあの夢や揺れ蛍

コメント:何故か上の句の子供目線である。「揺れ蛍」は父親に背負われた自分の方が揺れている。相対的にってやつ。微妙。


・幾千の星に紛れる蛍かな

コメント:一見してよくできたように見えるも、星とホタルの対比自体よくあるものであって陳腐。

 

・沈黙の狭間切り裂く蛍火や

コメント:ホタルの光が沈黙する二人の間を横切ったよ、って句であるがそこまで通じない気がする。言葉足らず。

 

・夕闇や失楽園の蛍舞う

コメント:この句は好き。ホタルの発光物質をルシフェリンという。ルシフェリンの名前はたぶん堕天使のルシファーからとってると思う。そもそもルシファー自体、明けの明星の意味で、語義的には「ルクス(光)+フェロ(運ぶ)」らしい。蛍にはふさわしい名ではないか。そんな堕天使とかけた句。蛍を楽園追放された堕天使に例えている。まあ失楽園って本来はアダムとイヴに対して使われる語だが。


・蛍浮く深山の闇に染められぬ

 コメント:快作。個人的大ヒット。この深山は「みやま」と読む。「深山の闇」を「蛍浮く」「染められぬ」で黒い液体に例えている。蛍は浮き、自分はといえば沈んでいる。その上で浮いている蛍を見上げている格好。季節は夏で、さらに闇を液体に例えているということで、ぬるりとした暑さを感じる句である。「深山の闇」という液体の底に沈み、その暗黒色に身を染められていながら――沈まずに浮かび、何に染められることもない蛍の光を羨まし気に見上げる。見上げている以上、蛍は星のように見えることだろう。この日は星の無い曇り夜だろうからなおさらだ。また「深山の闇」の底にいる私からはどこか怪物染みた雰囲気を感じないだろうか。何せその得体のしれない「深山の闇」にその身を染められているのだ。自らの獣性を認めつつも美しいものへの憧れ・嫉妬というのも抱く、醜い者の宿命のようなものがじっとりと文字からにじみ出てくるような句。自分の好む闇と光との対比の句でもある。何となく山月記を思い出すのは私だけだろうか。個人的にはくらげの句の「夜夜中海原一面海月咲く」と対をなすスーパー名句だと思っている。

 

【VV】

 

・蛍火や焦燥感と足早に
コメント:蛍の飛び交う中、この句の作者は早足で進んでいる。焦燥感というくらいなのだから、何かに遅れてしまうかもしれないのを急いでいるのだろうか。それは誰かとの約束かもしれない。この蛍の季節にする約束と言えばお祭りに行く約束だとかだろうか。本来なら目を奪われてしかるべき蛍の群れにも目もくれず進む作者の姿が、一種の映画の一場面かのごとく脳裏に浮かぶ。川のせせらぎすら聴こえてきそうだ。秋雷。

 

【鮴羅】

・夜行バス かの光跡は 螢火か

 

 

 

【編者評】

三名から八句。まあ、七夕よりは詠み易かったかな。個人的にはとてもやりやすい季語だと思うけど。やっぱVV先生はさすがの貫禄ですかね。自分と共に俳句部初回からやってらっしゃいますし。鮴羅くんは初参加ですが、まずまず。旅情みたいなのもよく出てて悪くないと思う。

 

個人的には「虫」「夜」「闇」「光」のキーワードの句がとても上手くなる気がする。虫好きだし夜好きだし闇が好きだけど結局光に憧れてるんだよなあ、と。正の光走性のある虫って多いしね。もしかしたらある朝目が覚めたら巨大な毒虫になってるかもしれない。人間より虫の方が感情移入できる気がするし。

 

んじゃ、最後にもう一句置いて締めますか。

 

蛇みたく蛍捕らえる小さな手                秋雷