世界の生成

私は「ハイファンタジーを書くなればまず世界から作らねばならぬ」と考える者である。

 

今回の作品は異世界転生モノであるためハイファンタジーである。ハイファンタジーとは現実世界とは完全別種の異世界で繰り広げられる物語である。ハイファンタジーを書く上で、“異世界”を軽んじる者はドラゴンに踏まれて死ねと思う。

 

そこは現実世界とは別の独自のルールに縛られている。例えば魔法が存在し、例えばドラゴンが空を飛ぶ。

 

昨今のファンタジー書きはこの異世界の設定を軽んじてはいないか、と個人的に思う。いわゆる先人たちが培ってきたステレオイメージをそのまま流用している者が多い。というか、そのステレオイメージはファンタジー小説のステレオイメージでなく、ファンタジーRPGのステレオイメージだったりする。今や若い小説書きはゲームを下敷きにして小説を書いている。

 

D&Dが培ったような、あの世界だ。ゴブリンを蹂躙し、ファイアボールをトログロダイトに叩き込み、剣もってドラゴンに挑む。当たり前のようにパーティーを組むし、何の疑問もなく魔法や魔物が跋扈する。

 

これは思考の放棄ではないかと思うのだ。もっと考えろ。

 

たとえば洞窟の中に巨大なドラゴンが住んでいるというのはどうだろう。北欧神話のファヴニルから、指輪物語の黄金のスマウグまで通じる、いかにもなステレオイメージであるが、ではそれを現実に当てはめてみた時どうなるか。

 

当然、巨大なドラゴンはその洞窟の生態系の頂点であろう。いわゆるアンブレラ種と呼ばれるものだ。

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生態系ピラミッドの超簡略版である。実際にはもっと複雑であるが面倒なのでこうしておく。

 

さてここで問題なのは、まず洞窟がドラゴンを養う能力があるのだろうかという疑問だ。超大型肉食獣であるドラゴンを養うだけの環境というのはかなりのものである。ネス湖ネッシーが存在しえない理由として最もそれらしいものが「そもそもネス湖では巨大なネッシーを養えない」であった。巨大肉食恐竜を養うにはかなりの量の魚が必要となるが、恵みの少ないネス湖ではネッシーを養えるだけの食料を確保することができない。

 

ドラゴンを養うための餌の量というのが全く想像つかないが、人間が軽い気持ちで入り込んで、1日2日で最奥まで到達できるような小さな洞窟にそれだけの食物があるように思えない。というか日光の届かず植物が繁殖しづらい洞窟は、同じ広さの平原に比べて恵みの少ない場であろう。当然、ドラゴンが養えるわけがない。

 

まあ、もしかしたら洞窟は単なるネグラで、普段は洞窟から出て狩りをしているのかもしれない。それにしたって、この巨大生物を養えるだけの餌場と考えればかなり広大な場を要するだろうが。しかし、また、問題は残っている。

 

生態系頂点であるドラゴンはキーストーン種である可能性が高い、という点である。キーストーン種とは少ない生物量でありながらその場の生態系を左右する生物のこと。そりゃこれだけ巨大な肉食動物が生態系を左右しないわけがない。このドラゴンが英雄によって倒されてみるがいい。強力な肉食獣がいなくなれば、そのピラミッド下部の草食動物が激増し、生態系は瓦解する。植物を食い荒らし、結果、草食動物の数も激減し、あとには恵みの無い荒野だけが残る……まあ、普通そうなる前に新たな肉食動物が現れるものだが。

 

それだけでない。これだけ巨大で強力な肉食獣がいればそれを中心として独特の生態系が作成されるだろうということだ。ドラゴンの食べ残しを狙って腐食性の中・小型獣がドラゴンのそばで生活し始め、ドラゴンの脱皮した巨大な皮を何らかの生物が巣に利用したりする。そもそも強力すぎるドラゴンのそばにいれば、逆にその他の捕食者に対しては安全であり、小型の獣がドラゴンのそばで繁殖することだろう。さらに火を噴くドラゴンなんか、おそらく体温も高温であろうし、その洞窟の環境は非常に特殊なものになり、独特の生態系が繰り広げられる。これがドラゴンを倒された後に、全て失われるのだ。そこに依存していた動物は、死滅するだけならまだいいが、生息域を離れて人里を襲うようになるかもしれない。そうなればドラゴンを殺したが故に人間が苦しむ羽目になろう。

 

現代日本だってそうだ。アンブレラ種であり、キーストーン種であったろう二ホンオオカミが絶滅し、草食動物は我が物顔で往来を歩いている。我が共生舎付近でも鹿が最強の生物として君臨している。草食動物を狩るオオカミがいないせいでその数は爆発的に増え、食害によって自然が食い滅ぼされていく。

 

大真面目にニホンオオカミをクローン技術で復活させて野に離すべきではないかと議論されている。実際に、アメリカでは狼が絶滅して生態系が大きく崩れた地域に狼を放すことを行って、効果を得た例がある。

 

生態系の頂点に君臨する種を殺戮すると言うことは、その場の生態系全てを殺すような所業だ。勇者はその覚悟があって剣を振っているのだろうか。

 

また他にも考えるべきことは多々ある。ドラゴンが火を吐くメカニズム。巨体で空を飛ぶための原理。さらに生殖や寿命などについてもよく考えるべきだろう。

とくに個人的には空を飛ぶ原理が謎だ。ジェットエンジンを積んだ航空機ですら限界まで軽量化をはかっている。鳥類は骨まで空洞化させてその身を軽くし、飛べるように進化した。巨大で大質量であるドラゴンが、どうやって飛ぶと言うのだろう。巨大になればなるほど、堆積に対する面積の比がどんどん低くなっていき、飛ぶに不利になっていく。仮にドラゴンを図体の割に軽い存在だとすれば簡単に飛べるようになるのだろうが、今度は強さが欠け始める。デカくて軽い生き物は最強たりえないだろう。簡単に剣は刺さり、命を刈り取ることができる。たいして脅威ではない。

 

様々な設定をおろそかにしてただステレオイメージのドラゴンを、ぞんざいに石ころでも投げるかの如く洞窟へ投げ入れる。これをして思考の放棄であり、それは人間としての死であろう。人間は考える葦なのだから。ただ先人の遺産を食いつぶすように、築かれたステレオイメージに依存するような所業をして、「人間性の敗北」であると私は言っている。思考の放棄だ。

 

異世界モノは安易に書けるジャンルではない。何故なら世界一個生成する神のごとき偉業を為さなければいけないからだ。指輪物語の作者、トールキンはそれをやり遂げた。様々な生物の来歴、その世界の神話、歴史……あげく言語学者だった彼は「新言語」まで世界のために作り出した。エルフ語である。エルフ語は普通に日常会話ができるレベルで組まれており、創作言語としてはかなりのクォリティの代物だ。

 

映画が同時期にやっていたからか指輪物語とハリポタとを比較する者がいるが、その二つは比較されるべきではない。神と犬を比較するようなものだ。格が違い過ぎる。ファンタジー小説の世界では、指輪物語は神格化されて語られるべき作品だ。あれこそ聖典である。

 

指輪物語が現代ファンタジーの祖であり、D&Dから続くファンタジーRPGを支配するほどの大影響を与えたのも、圧倒的な世界の構築力を誇っていたからだ。ファンタジー黎明期であれだ。

 

偉大なる祖がその人間としての尊厳を振るって世界一個を創造せしめたというに、後世の子らが、脳みそを抉りだされたかのごとき思考放棄の末に吐き出されたような作品を作っていてどうするのだ。あの指輪物語に比肩し得るものを、とまでは言わないが、せめてその後に続こうという気概くらいは見せろと言うのだ。

 

で、あるからして、私にとってファンタジー小説とは軽々しく書けるものではない。重々しきものである。かくあるべきだと思っているし、何ら不都合などない。

 

夏霞脳漿に舟漂流す                 秋雷

 

さあ脳漿に小舟浮かべ帆を張り漂流しようじゃないか! それがモノを作ると言うことだ!  

 

 

 

 

 

 

 

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