山奥異端的マトリクス

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ぱっと思ったことを思いついたままにとりとめなく書いてるので支離滅裂かも。

 

先日、ケッコン発表したバナシさんであるが、バナシさんと私とを比べたときに大いに差だと感じるのは何も女性の有無だけではない。

 

欲の有無だ。

 

欲と言うより執着と言う方がいいのかもしれない。モノ・ヒト・カネへの執着心が、どうもバナシさんは薄い感じがする。当人も世捨て人というか、そういう欲にまみれた世俗から離れた存在に憧れているような節がある。

 

どうにも、バナシさんだけでなく、ここの古株はみなこの傾向を強める気がする。上のマトリクスでいう「仙人的」とでも言おうか。彼らからは独特の雰囲気が発せられる。ある種人間を超越しているような、そうでないような、不可思議な雰囲気である。霞たなびく山奥で長らく暮らすと人はああなるのだろうかと思う。

 

自分は欲深い。ただ、色んな宗教で否定される欲であるが神道では否定されていないし、ぶっちゃけ人は欲深くて当然だと思っているので引け目と思っていない。

 

 上の図の横軸を「陰陽」で区切ったが、あれは「活動的」か否かってイメージ。意識が高かったり、積極的に他人に干渉したりする、活発な者を陽とし、あまり活発でない者を陰とする。

 

山奥ではこれでいう陰の者の方が多い。あまり活発でない。活発でないからニートしている。意識高い系ニートというのはついぞ見ない。前に遊びに来た山暮らしに憧れているというお客さんが、かなり意識の高い方で、もし山に棲んだらやりたいこと、したいことを私に語ってくれた。ああいう人はあのグラフで言う聖人とか天人とかになってくるんじゃないか。欲の感じる人ではなかったから聖人か。すげーなーと他人事のように聞いていた。実はそんなに興味ない話だった。

 

そもそも山に来たくて来ている者が少ない。ただ安値で暮らせるから。集団生活だと孤独死しないで済むから。それくらいの理由でいる者が多いと思う。意識低い系ニートの集合体だ。まあニートだからどうしようもない。

 

自分なんかはあのマトリクスで言えば妖怪だ。山に棲まう妖怪。鬼だとか、天狗だとか、尾裂狐だとか、野衾だとか、山地乳だとか、幽谷響だとか、猿神だとか。そういう。

ある種仙人は自己完結しているが妖怪はその欲のあるが故に自己完結はできず人里にちょっかいをかける。かわいらしい悪戯程度のものから、笑えない仕業まで。他人に対し自らの存在を知らしめたいという欲だとか、そういうのが黙っていないのだ。

 

なんかちょっと山月記っぽい。

 

私も人里に向かって「若い生娘を生け贄として差し出せ」と白羽の矢を立ててまわりたいものだ。そして英雄に退治されるのである。愛を知らぬままに。妖怪などそんなものだ。

 

妖怪的な私からすれば、仙人的なバナシさんが結婚というのも驚くものだ。結婚といえば俗っぽいイメージがある。世俗の慣習。まあ、たぶんバナシさんは結婚から俗っぽさを抜いた「仙人的婚姻譚」に仕上げてくれるんだろう。現に、普通のイメージする結婚とは違う形態を為そうとしている。

 

自分も結婚はしたいな。今とは言わないが、いずれ。その時は「異類婚姻譚」的な物語に仕上がるのだろうか。まあ小心者だし小市民的だから普通の結婚になる可能性のが高いか。まず結婚できるか否かの議論についてはここでは受け付けない。

 

上のマトリクスは左側はかなりてきとーなもんだが、右二つは割と個人的には好きだ。仙人と妖怪。山奥にはこのどちらかが棲んでいるのだと思う。ある種どちらも人間性を犠牲にして辿り着く行く末だ。

 

私は仙人にはなるまい。妖怪でいよう。人をたぶらかしたい。世に憚りたい。自らの獣性を捨てたくはない。卑小な私を大事にしたい。

 

 

夕月の声響くなり深山道                  秋雷

 

卑小で卑賤な私は、何と云う名の化物だらふか