「僕という一個の人間が確かにここに存在しているということを、あなたに知ってほしいんだ」

21世紀日本は自己表現の世界だと思う。

 

戦争が終わってウン十年が経った。平和に感覚がマヒした者が何を求めるかって刺激以外の何物でもない。娯楽として消費できるコンテンツを求めている。小説・マンガ・ゲームとか。娯楽メディアは一つの産業として日本の大きな位置を占めているだろう。

 

思えばすでに職業作家が存在していた江戸時代なんかは、今の日本と近い存在だったのかもしれない。今でいうライトノベル・マンガに相当する黄表紙という書籍群が存在し、そんな黄表紙ばっかり読んでいる子供に対して親が「そんな本ばっかり読んでいるとバカになるぞ! 勉強しろ!」みたいなことを言うやりとりはその時代からあったそうな。言われた子供は「こういうバカバカしそうに見える本の中にもいい作品はあるんだよ」なんて言ってかばう。今とあまり変わらない。

 

平和は人に娯楽を求めさせる。

 

さらに江戸期と違って現代日本は人と人とのつながりが希薄化し、さらに個性が分化・大量に種類が増えた。自分って何だろう。という青臭い問いを、みなが胸に抱えるようになった。アイデンティティのゆらぎってやつだ。

 

手っ取り早くアイデンティティを確立させたきゃ、何かを作ることだ。作った作品は確実に自分の存在を肯定してくれるし、それが他人に評価されたなら、それは自分の存在が認められたに等しいのだから。

 

さらに技術の発展により、門戸が大きく開かれたというのが大きい。ネットの登場だ。小説や漫画、ゲーム、動画といったコンテンツが簡単に世間へ発信できるようになった。プロでもないアマチュアが、だ。さらに私も書いているブログや、FB、ツイッターなどの情報媒体・SNSによって、簡単に自分の言葉を不特定の他者に向かって発信できる。バカッターと言われていたアホな迷惑行為をツイッターに載せたがる輩どもも、「自分の存在を知ってほしい」という悲痛な叫びがアレをさせていたのだと思えば、少しの憐憫を感じさせる。バカだと思うし、ああいうバカは死なないと治らなそうだとも思うけど。

 

今やこの日本で「情報の発信者」である者は、人口の半数を超えるのではないか。みながみな、あえいでいる。自らの存在について、何故存在しているのか、何故存在し続けるのか……それを誰かに認めてもらいたいという欲の炎にまかれて、苦しんでいる。

 

21世紀は自己表現の時代だ。みながみな、自分の存在を何らかの手段で発信したがる。

 

かつて戦時下にくらべて需要は増えたが、それ以上に莫大な量の供給を生み出し、よってほとんどの自己表現者は誰にも知ってもらえずに無名の闇に覆われている。この不幸こそが、私たち表現者にとっては恐ろしい怪物となるだろう。

 

声をあげれど誰にも届かないのは不幸だ。片思いのときの、悲しい一方向の愛情のようなものだ。自分が納得いく作品ができれば、なんていうけど、そんなのお茶を濁して誤魔化しているだけだ。結局、私たちは誰かに消費されなければこの胸の中の情動を解消することができないのだ。

 

大量にライバルはいる。いくらでも他に代わりが居る。そんな中、どうやって他人を出し抜けばよいのか。私のコンテンツが消費されるということは、誰かのコンテンツが消費されなかったということに等しい。勝たなければならない。打ち負かさなければならない。それにはどうしたらよいのだろうか。

 

この愛すべき平和な平和な世界で、私たちは戦っている。この「自らを知ってほしいという欲」が、生きたまま修羅道の底へ突き落しに来る。この阿修羅どものひしめく世界で、ただ無名の鬼として死ぬか、名を残して死ぬか。勝者と敗者の違いはその程度でしかない。その程度でしかないのだ。

 

私は自らが行う小説関連の努力を、個人的に「石を積む」と表現している。が、まさに賽の河原で石を積んでいるかのごとき感覚に陥る。意味を求めて行っているはずが、無意味な行為に陥っているのではないかという猜疑にかられる。恐ろしいことだ。しかしてそれで結局、結果をつかんだとしてもだから何だというのだ。望みの結果を得たとして、だから何だというのだ。とどのつまりは無為から無為へ移行しただけだ。おお、地獄、地獄……

 

死んでもいないのに暗黒の黄泉にいる気分だ。ここは無為の争いの続く修羅道だ。浅ましき獣ひしめく畜生道だ。詰め込めど詰め込めど意味を成せない餓鬼道だ。

自らの発する炎にまかれ、あえぎ苦しみ、怨嗟の声の響く、地獄道だ。

 

鵼啼くや古戦場の土になる                秋雷

 

前世の報いか。まあきっと私の前世は毒婦だったろうからな。しょうがない。苦しみを愉しむマゾヒズムに浸るくらいしか対処の法はなかろう。まあよいのだ。悪獣は悪獣らしい振る舞いというもののあろう。

深山という人外境にて、人の世に憚り英雄に斃される鬼獸にならん。魔道に堕ちし私の出来る事を出来るだけ。