山奥ニートだったけど今はただのニートです。

山を降りて三日経って気づいた。

 


今の私はただのニートじゃねえか。

 

山奥ニートという肩書はもはやブランド的価値がある。そのライフスタイルは希少かつ新時代的であり、注目されている。よって山奥ニートの書くブログには一定の価値がある。

 

ニートじゃん。今の私。ダメじゃん。価値ないじゃん。ヤバいわ。

 

今まで山奥ピエールというPNで活動してきたが、もうただのピエールである。タイトル変えないでいいのかな……どうかな……

 

そもそも山奥ニートだった時代ですらネタ不足にあえいでいたのに、もう書くネタなど何もないぞ。そもそも山奥にいた時だって希少価値のあるクズだっただけである。山奥ニートから山奥を抜いたらただのクズ。需要……ある……?

 

 

山を降りて三日になるが、もうすでにイライラしている。原因は明白である。

 

フィトンチッドが足りないからだ。

まあ、フィトンチッドはどうでもいいとして、人里は息苦しい。たぶんマイナスイオン

山奥とは時間の流れが違うからだと思う。せかせかしている。道にいっぱい車が通っている。人もたくさん歩いている。なんかそれだけで自分も急かされている気分になる。憂鬱だ。

 

虫の音が聞こえない。うちの実家だってそこそこに田舎なのに。山ではヒグラシの声がうるさすぎて目覚めたりした。ここでは耳をそばだてて集中しないとヒグラシの声がわからない。遠くまで来てしまったなあ、と思う。

 

テレビを見る。山では全然見てなかった。我が家では一家だんらんの中心にテレビがある。だが、私がバラエティ番組を見ても、「このタレントが嫌い」だとか「この芸人はクズ」だとかそんなネガティブな感想しか浮かんでこない。楽しくない。いつからこんなにテレビ番組がつまらなくなったんだろう。なんでこんなに心がイガイガするんだろう。

 

山じゃこんなにイガイガしなかった。こんなにイヤな奴じゃなかった。

 

もうすでに帰りたい。

 

山奥だと穏やかでいられる。山奥の私と人里の私。どっちが本当の私だろうか。

 

――人里の私だろうな。本来の私は、山奥の私みたいに善良なキャラクタじゃなかった。あれは本来の私ではない。私の性質すら超えて、穏やかでいられたあの山奥が恋しい。悟りが開けたかもしれんのに。

 

山の土を恋しく思う盂蘭盆会                    秋雷

 

あの超絶的不便さに文句ばっかり言ってたのに、ストレスは欠片もなかったんだよ。あんなに居心地がよかったんだよな。もう泣きそう。っていうか泣いてる。誰も鳴いてくれないから。虫が。

 

あとね、これは余談なんやけどね。久々に会った親戚のオジさんが「今なにしとるんや」って訊いてくんのマジ勘弁してやって感じ。自分が悪いねんけどな。ほんまキラーワードやでこれ。
「山奥でニートしとるわ( ー`дー´)キリッ」とか言えへんしな。
「フ、フリーターしてます……(超小声)」としか言えへんやろ。いやまあ自業自得なんやけどな。

私が大人になったら、親戚の子供に「今なにしとるんや」と訊く親戚のオジさんにはならんでおこう。「毎日楽しいか」って訊こう。それがカッコええ親戚オジさんの問いちゃうか。まあ私がオジさんになる前に、そもそも親戚内で私の存在を闇に葬られてそうやけどもな。「ピエール? だれそれ?」みたいなな。

 

山奥でニートするんも楽ちゃうなあ(自縄自縛)