私の一人称の変遷について

共生舎に来てからというもの、自分を指すときに「私」という一人称を用いている。これはブログ上だけでなくリアルの会話でもだ。

 

しかし私は、かつて「私」を用いなかった。

 

自分の半生を振り返りながら一人称について考えていきたい。

 

 

幼いころの私の一人称は「僕」だった。「僕ね、あのね」といったように話した。幼い男の子然とした感じだ。こういう、原初の一人称については母親の趣味によるところが大きい気がする。おそらく母が「僕」という一人称を用いることを好んだのではないか。子供は言葉のほとんどを母親から学ぶものだ。私の言語野を作ったのは母なのだろう。

 

小学校中~高学年になったあたりだろうか。「俺」という一人称に変化する。白いブリーフを履くことを恥ずかしく感じ、トランクスにしてくれと母に頼んだ頃合いである。要するに、対外的に「僕」だと恥ずかしいから「俺」にしないと、という意識が働いたが故の変遷だ。母はその変化を嫌がったが、父が当人の好きにさせろと言っていた。父にも思うところがあったのだろう。

 

あのころ、親にピンク色のシャツを着せられて泣いた思い出がある。親としてはオシャレだと思ったのだろうけど、小学生にとってピンクは女の子の色だ。そんなものを着ていけば女だ、何だと言われていじめられる。思えば、最も他人に対して残虐なころが小学生ではなかろうか。距離の取り方も下手だし、手加減もできない。言いたいことをそのまま投げつける。この頃に心折れた者は一人や二人ではすまないだろう。私とてそうだ。「僕」が「俺」に変わり、世界の色が褪せた。ああ、こんなものか、という社会の限界を学ぶのが小学校というコミュニティのありようだ。

 

それからずっと「俺」だった。「俺」という一人称は私が持ち入れる最大の虚勢である。私はどのコミュニティにおいても弱者に位置したが、それでも「僕」というよりは「俺」というほうがまだマシに思えた。「僕」というのは牙折って爪を切られた者の一人称だ、「俺」はまだそこまで落ちてはない、という奇妙な虚勢である。

 

「僕」という一人称はシモベの意である。いわゆる謙譲語としての一人称だ。尻尾を巻いてキュウンと鳴きながら発するものだ。「俺」というのは荒々しい印象のある。辞書でも「威張った言い方」とあった。

 

と、まあこんな具合か。

 

そんなこんなの虚勢にて、私は暗黒の学生期を駆け抜けていた。「俺」という一人称を用いる場というのは私にとって戦場だった。なぜなら容赦なく私を傷つけに来るからだ。

 

そして、ここ共生舎に来て、はじめて「私」となる。これが奇妙だ。

 

「僕」→「俺」はある意味環境によって強いられたがごとき変遷であった。しかし「俺」→「私」は誰にも強いられていないが故に、これは自然の変遷である。

 

これに気づいたとき、自分は面白く思った。つまり、この共生舎は戦場ではないという判定である。

 

共生舎では基本的にノンストレスであって、誰も私を傷つけようとしない。故に、武装解除した「私」になった。「僕」ではなく「私」というのは、その分大人になったからか。へりくだることもなく、威張ることもなく、自然に自分をとらえた結果が「私」という一人称になったのではないか。

 

面白いことに、こないだ実家に帰ったときは「俺」と言ってた。家族に対しても虚勢を張らねばならぬ身なのだろう、私は。

 

半強制的に毒気を抜かれるが山奥である。なるほど。ゆえに「私」であるのかもしれない。

 

月の射す私の色の白き事                 秋雷

 

私は私、なのだろう。俺は俺、僕は僕。里で暮らしても「私」と言えるようになった時に、それが私が真に大人になったといえる日なのだろう。