山奥と秋海棠

 

 

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秋海棠。彼岸花との色の対比は「赤×ピンク」って感じ。

 

私の部屋の真裏はもはや山で、というか自然に囲まれる形で存在している。というか山に建っているんだよなこの建物。ある意味私の部屋を山への防波堤にして共生舎母屋があるような感じ。

 

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雑な図であるが、まあこんな感じか。三方ある窓のうち二方が山に、一方が共生舎を向いている。

 

で、その窓から見えるわけですよ。赤い花やピンクの花が。風情だなーと思った。花と言えば春のイメージだがこの季節でも咲くわけだ。片方は見慣れた彼岸花で、馴染み深い故に愛らしい。でも片方は何なのかすらわからない。

 

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このピンクの花が何なのかよくわからず。というか山奥に来るまで花なんて興味の欠片もなかったし、花の種類なんてよくわからない。

 

秋、ピンク、花で検索かけた結果、無数に答えが出た。この国に秋に咲くピンクの花がこんなにあるものかと。それを一つ一つ画像を確かめていって、出た答えが「秋海棠」だった。

 

そんな花があるなんてついぞ知らなかった。

 

どうも、湿った直射日光の当たらない場所が好みらしい。ぴったりじゃないか。でも園芸種で、江戸時代に海外からやってきた帰化植物だから、きっと誰かが持ってきた種か球根から生えたものなのだろうな。海棠に似る色の秋の花だから秋海棠。まず海棠が何なのか私は知らないのだけれど。。

 

芭蕉も一句詠んでいる。

 

秋海棠西瓜の色に咲きにけり                芭蕉

 

率直な句であるが、なるほど、味わい深い。色の濃い秋海棠がただ咲いていて、それに見惚れるが故にそれだけしか感想が出てこなかった。そんな句だろうか。西瓜と言えば実は秋の季語で、この句はおそらく「秋海棠の咲くのを見て、西瓜の季節だと悟った」句でもあるのかも。そう考えるとちょっとユーモラス。

 

部屋の窓から秋の花が見えるというのは中々に趣深い。私も久々に句心が動いたゆえに詠んでみる。

 

秋海棠誰を想って色づくか                秋雷

 

微妙。季語が動いている。これはありていの句。

 

秋海棠妻となる人の横顔や                秋雷

 

これは綺麗かな。でも妻とか欠片もいないけどね。完全フィクションである。

 

秋海棠悲しい故に顔を伏せ                秋雷

 

これはあれだな。後述するが、秋海棠には断腸花っていう別名があるんですよ。その辺とからめて詠んでるけど微妙。


秋海棠頷いて闇に溶けゆく                秋雷

 

これもねー。この手の句さんざん詠みましたやん自分。闇に溶かすん何回目ですん? って感じ。

 

調べると、断腸花という別名があるらしい。昔中国で、愛する男の帰りを待つも訪れず、断腸の思いで流した乙女の涙から咲いた花なのだという故事があるとか。なにそのオシャレ設定。ギリシャ神話の変身譚に通ずるオシャレさ。

 

この断腸花という季語は「断腸」の語とかけて、何かを捨てたり別れたりする句によく用いられる。良い季語だ。自分も詠んでみる。

 

捨てることを捨てると決めり断腸花               秋雷

 

これは上手くないかい。これ好きだな。秋らしさもあるし。

 

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手ぶれしてる。写真の撮り方が下手な私である。

 

働いていた頃は車から見える桜や紅葉くらいしか、風情を感じなかったものだけど。さすがに山奥でニートしている身だと、すぐそばに秋の季節が散りばめられているのに気づく。日本はこんなにも季節にあふれた国なのか。

 

最後に一句置いて終わろう。

 

断腸花問う人の世は良いものかと              秋雷

 

こういう風情に浸れなきゃ山では暮らせまい。今だって鈴虫の鳴き声に耳を傾けながらこれを書いているしね。