久々に親元で仕事をした。

すでに実家ですべき所用はこなしきったが、成り行きで再び父の下で仕事をすることに。

 

久々。約1年ぶりのガチ労働であるが、もうしんどい。

 

1年前の私はよくこんなペースで働いていたものだ。我のことながら尊敬する。

 

久々にかっきり働くと気持ちのいいものだ。偶の労働なら割と楽しめる。これが毎日連続するからげんなりするのだ。山登りとかと同じだろう。

 

山登りが趣味とかいう奴も、どうせ連日山登っていたら苦になるに決まっている。雨の日も雪の日もである。そりゃ苦だ。

そもそも山登りの何が楽しいのかいまいち理解に苦しむのだが。まあ、自然に触れるという点ではいいかも。街にはない草花がそこにはあるわけだし。植物図鑑でも持っていくならいい趣味ではないかな。単に山を登ることをメインに据えている人については何が楽しいのか皆目見当もつかぬ。修験道かなと思う。山に棲んでいた人間としては、遊び半分で出入りするモノでもないように思うのだが。山の怒りに触れれば簡単に命を落とす。自殺志願者というのであれば止めはしないが。

 

エベレスト登頂とか言われても、だから何? と思ってしまう。たぶんスゴイ事なんだろうけど、いまいちよくわからない。ぶっちゃけ登山家がこの世からいなくなっても私の人生にとんと影響しないだろうなと思う。農家さんがいなくなったらダイレクトに影響あるだろうから、自分の中では農作物を作ったり家を建てたりすることの方がエベレスト登頂よりすごいことだと思っている。

 

職業に貴賤なしだけれどね。職業として成り立つ以上、そこには需要があるのだから、それはそれで必要なのだろう。必要とされるお仕事は全て尊いというのが私の持論だ。スゴさがよくわからんなりにたぶん尊いと思う。

 

ただ趣味の登山となるとホントわからんな。軽いハイキング程度のものならともかくガチ登山を趣味でやる人のことはわからん。山の怒りに触れないように気を付けていただきたいと思う。海もそうだが、山だって例年の如く死者が出る。自然は平気で人を食う。それを忘れてないかな。それとも趣味で死ぬるのなら幸福なのだろうか。

 

里以外は全て人の場所ではなく神の領域である。山も海も、川も。里と里をつなぐ道や橋すらそうだ。よってそういう神の領域では人死にが出る。しかし現代日本人はそういう畏れの意を忘れてはいないだろうか。ちなみに山に棲んでいた頃は台風が来る度に死を半ば覚悟してた私である。土砂崩れが起きればひとたまりもない。死ぬ。山に棲む者の運命として割り切るほかない。

 

仕事の話から脱線に脱線しまくってこれだ。山の話とか今どうでもいいだろうに。つい山に思いを馳せてしまうのが我々の習性なのだろうか。

 

真っ黒から三日月を切り取っただけ              秋雷

 

韻文というより散文調であるが、そう悪くはない様に感じる。さっきみた風景を素のままに俳句にしてみた。仕事で疲れて奇をてらうだけの元気がないくらいがむしろちょうどいいのかもしれない。