昨今、月が明るいのでライトが要らない
たったこんだけのことで嬉しくなる。人里に居る間には湧かなかった感情である。
月が明るいから嬉しい。虫が鳴くから嬉しい。星が綺麗だから嬉しい。風が気持ちいから嬉しい。
そういう些細な嬉しいに気づけるだけの心の余裕というのも、人里にはないものだ。
当来、人間の精神というやつは繊細なもので、ほんの少しのことで一喜一憂できるはずなのだ。自然の移り変わりを感じて惜しいと思うも歓迎するのも、余裕があるからである。日々みながみな忙殺される人里で、「秋がどんどん少なくなってるよ」なんて言おうものなら不思議ちゃんあつかいされて終いである。
精神が麻痺して何を見ても何も感じず、月は月、虫は虫、風は風としか思わないのが人里にいるころの私だ。些細なことでイライラするも、些細なことで喜んだりはしない。
不幸なるや。
石という石はなく、草という草はなく。人という人もいない。
思えば自分の書く文章というのは「色が薄い」。
色彩が褪せているというか、淡々としすぎていて面白みがない。空(くう)は空のままで色のない。
色不異空空不異色色即是空空即是色。というのは般若経の一節であるがまことにその通りで、空をそのまま空とするのは愚か愚かしいものだ。空に色を付けるべきで、それにはどうすればいいのか。
思うに、心の余裕無き文章を書くからして、色が無いのでないか。色とは遊び心に思う。遊びというのは余裕である。遊びがあるものは色がつく。そういうものではなかろうか。
思えば人里に入る頃の私は色の無い人間。今ほど色を持つこともない。とおもえば、今なら色のある文章を書ける気はする。
ごめんねあまりに月が明るいので 秋雷
散文調。意味深。こういうのもあっていいと思う。