物語は機械だから、設計図さえあれば書けるよね。

執筆し始めると、私はいつもいつも途中で絶望的な気分に陥る。

「ナニカチガウ」

 

で、紙面が満たされていく。そこから何文字書こうが「ナニカチガウ」の集合に過ぎず、意味を喪失していく。ただただ空虚だ。

 

何故か? 毎回ノープラン過ぎるのだ。

 

電子レンジを作ろうと思っても、素人が設計図無しに作れるわけがない。

 

物語は機械だ。であれば機能があり、その機能を果たすための様々なパーツの組み合わせによって構成されている。当然のように、要らないパーツなどない。

 

「入力に対し如何なる出力をするか」が機械の機能ならば、作者のすべきことは「どのようなシステムによって其れを可能にさせるか」を考えてやることだ。当然、ノープランで組み立て始めた機械はグロテスクな鉄クズの集合でしかない。機械を機械たらしめるには綿密な設計が要る。

 

電子レンジを作りたければ電子レンジの仕組みを知らねばならない。そして、その仕組みを可能にするための必要なパーツを適切に配置していかなくてはならない。

 

私が、今書こうとしている小説の機能とは? 入力に対し何を出力するのか? それを可能にするには何で構築すればいいのか?

 

書きたいものを書くのではない。莫迦みたく書きたいものを書いているだけでは永劫に機械は作れまい。私は何を作っているのか、というのを強く意識し、そのために必要な努力を計算し実行し、結果を果たす。そうでなければならない。

 

精巧な機械に「チガウ」パーツなど一つもないのだ。全てが必要なパーツで構築され、一つの調和を為し、それによって絶大な威力を発揮する。それが機械だ。かくあるべし。

 

冬を作る機械が停止した昼              秋雷

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