燃えなくていい。

燃えるものはいずれ燃え尽き灰になる。

 

飛ぶものはいずれ落ちる。走るものもいずれ倒れる。生けるものはいずれ死すべき定めにある。

 

栄枯盛衰であって、盛者必滅である。

 

 

 

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私が親友と思うているこの記事の彼にとって、すでに今は「老後」なのだという。

 

すでに人生最高の瞬間を味わった。もはやそれ以後の人生など惰性。生きるも死ぬも、変わらぬという。生ける屍のようなものだと。

 

 

凄まじいな。と、思う。

 

彼のスタンスはカッコいいし、スゲエなと思う。でも羨ましくはない。

 

「君はこうなってはならんよ」

 

彼は私に言った。

 

 

自分は人生ずっと道半ばだと思っている。どこかに辿り着いたと思うた時に人は死ぬのだ。どこにも辿り着いていないうちには死なずにすむ。

 

そういう意味では、私の友人はすでに死んでいる。彼はすでに一度、望む場所に辿り着いてしまったからだ。実際、彼は自身を指して生ける屍だと言う。自己破滅願望が強いのか、死にまつわる話ばかり私に語る。どう死ぬか、いつ死ぬか。のような。友として、悲しくなる時もある。

 

ああ、友よ。私は人生最高の瞬間など来なくていい。ずっと途上のままでいい。

 

私は燃えない。飛ばないし、走らない。どこまで行けるのか、ただ歩いていこうと思う。どこにも辿り着かない。どこか場所を求めているわけでない。だから私は死なないですむ。

 

私が望むのは、友人が蘇ることだな。大きなお世話だろうが、私は彼が死んだままでいるのが惜しくてしょうがない。奴は私と違って、燃えるし飛ぶし走る奴だが、だったら何度も死んで、何度も蘇ればいいんだって。そう思うのだ。

 

この歳ですでに老後で、あとは惰性で生きていくというのは早すぎやしないか、友よ……

 

至れる場所がある、ということは幸せな事なんだろうか。むしろ自分のようなどこにも辿り着かない存在の方が、不幸せなのか? だが私は友人の様にはなりたくない。生ける屍みたいには。

 

「君はこうなってはならんよ」

 

私の事を熟知するゆえに彼は私にこう言ったのだろう。ありがたい。私はそうはならない。私は死なないでいる。燃えないし走らないし、飛ばない。ただ歩いて、生きていく。

 

北風に飛ばされぬ月のあおき事                  秋雷