俳句部活発です。

最近、共生舎でもっとも活発に活動しているのが俳句部だという事実。

 

かつてバナシさんが

「ギターも弾けないようなニートは二流ですよ」

と仰っていたが、それに倣って言えば

 

「俳句も詠まないような山奥ニートは二流」

 

と私は言おう。自然の中で暮らしながらも詩心が動かないというのは如何なるものか。俳句なんて自然に口をついて出ていくものだ。ぽつりと漏らした一語が詩になる、なんたる知的遊戯か。あんまりお金もかからないし。

 

活発すぎてどういうレイアウトでブログ記事にしようか迷う。詠み人一人ひとりにスポットをあてても十分に1記事になるし。うーん。

 

とりあえず単発系を詠み人ごとに列挙していく形にしようと思う。単発じゃないやつはまた別の記事でまとめる。

 

 

☆ヨシ☆

ヨシさんの句はご自身の内面を描くタイプの句が多い。そのため暗鬱とした感じの句が多いのであるが、その闇に惹かれてしまうのはどうしてであろうか。毒キノコほど美味であるというが、ヨシさんの句もそのような味わい深さを感じる。

 

・秋寒にはりついたままオフライン

 

・死に急げ台風一過に発電す

 

・温め酒用意された二十五円

 

・空に秋幻想振動症候群

 

・酔い深く秋刀魚のはらわたの色

 

・満ちぬのを識りて求むる残り蚊かな

 

・名月やあなたは変わっていないのに

 

・排ガスを喫いて真っ直ぐ秋ざくら

 

個人的には「酔い深く秋刀魚のはらわたの色」がダークカッコいい感じで好きである。俳句に「はらわた」というホラー感の強い語を入れてきているが、充分に季節も感じられて風情である。上五の「酔い深く」で時間が深夜帯なのでないかと思われる。焼き秋刀魚をアテにちびちびと深酒する孤独感がひしひしと現れている句。半分食われた秋刀魚は何を伝えたいのだろう。焼けて白く濁った眼を思い出す。

 

またラスト「排ガスを喫いて真っ直ぐ秋ざくら」は名ある俳人の句であると言われればなるほどと納得しかねない出来栄えに思う。無節操に走る車の起こす汚れた風に揺れるも、穢れずに凛と立っているコスモスの可憐さを思う。そうか、コスモスはいつだって美しいのだ。

 

 

☆Φ梨☆

Φ梨さんは作数が少ないが、作風としてはしゃれっ気のある句か、素朴なタイプの句を作る。気取らないことを気取る印象。語のチョイスに妙のある句が多いように感じる。語彙とユーモアの句であるため、私には詠めない句だと思う。

 

・クソ暑いだるさが背中に張り付いた

 

・秋風に吹かれて寂しひざこぞう

 

・秋の夜一人で飲むのはゼロカロリー

 

・秋空に刈り払い機の駆動音

 

個人的ピックアップとしては「秋の夜一人で飲むのはゼロカロリー」。俳句で「秋の夜」という語をポンと置けば、それすなわち「夜長」のことであると察するものだ。夜も深くなり独りで飲む酒。それはゼロカロリーであるという。ヨシさんの秋刀魚の句も「秋の夜に独り酒する男の句」であったがやや雰囲気が違う。ユーモラスであり、自嘲する感じが伝わってくる。「ゼロカロリー」の語の働きが深い。通例、カタカナ語は軽薄浅薄でありろくに働かないというが、「ゼロカロリー」という音の浅薄な語を用いながらもここまで機能させるのは、手腕であるなあと感心する。さすがである。

 

 

☆魚芽☆

作数は少ない。魚芽さんは景の描写に徹した句を詠まれる印象。まっすぐに景を描写する姿勢には、「小手技やひねりなんかに頼らない」意志を感じる。ひねくれものの私にはまぶしく思う。

 

・川しづか落ち葉ひとひら波咲かす

 

一枚の落ち葉が川面に触れた途端、波紋が広がる。その様子を花が咲いたようだ、と評した。散った葉と咲いた花という対比にも妙があるが、上五の「川しづか」によって染みるような静寂を演出する。季語「落ち葉」は冬の季語であるため、冬の川の静謐さを描いた句である。しかし、閑散とした寂しさというのはあまり感じない。冬の川ですら楽しんでいる心の余裕がにじみでている。

 

 

☆秋雷☆

私である。作風としては共生舎俳句部のメンツで言えばヨシさんに近い。景の描写に徹するか、内面を掘り下げるタイプの句が多い気がする。自分の事について色々語るのはそれこそ浅薄であるのでこれ以上は語らじ。俳句詠みは俳句で語ればよかろう。句数だけは最も多いのであるから。

 

・電話切る指で手折りし彼岸花

 

・若き犬月落ちてからまどろみぬ

 

・罪の無きブドウ一粒皮を剥ぐ

 

・紅葉落つ血の池地獄を船渡る

 

・星堕ちて燃ゆる満天星紅葉かな


・知らぬ子がどんぐり三つで団子買う

 

・雨しづか吾に頷く芒かな

 

・何食わぬ顔で部屋居る蜥蜴かな

 

・赤色のクレヨン減りぬ終戦

 

・鈴虫や母の手紙を夜に読む

 

・名月や記憶すべてを殺したい

 

・りんご噛むごとに忘るる嫌なこと

 

・秋茜去るくだり坂のぼり坂

 

・一文字も置けずに夜更け火の恋し

 

・夜の道なんとなく案山子蹴りたい

 

・狭霧の壁突き破り仕事に行く

 

・柿色の空と山と村と人

 

・木守柿今の私のような柿

 

・あきざくら木杭囲むも攻めあぐね

 

19句。玉石混交。個人的には「秋茜去るくだり坂のぼり坂」がお気に入りである。山道はアップダウンが激しい。あちらこちらに坂がある。それを歩いていると、赤とんぼが飛び去って行く。たったそれだけの句であるが、何か感じいるものがなかろうか? 人生においても坂は多いが、くだり坂の後には必ずのぼり坂のあるものだ、と思う。

 

 

☆影馬☆

影馬氏は俳句部期待の新星である。つい一か月ちょっと前くらいに俳句を始めたばかりなのだが、全くそうとは信じられない卓越した詠み手であり末恐ろしい。作風は俳句部の中では最も特殊で、人物の句が多くそのほとんどが優しい雰囲気に包まれている。山奥ニートはひねくれものや人間嫌いが多い中、人に対する優しさ、真心を失わない姿勢には舌を巻く。とくに少女を描写した句に妙があり、優しい童話のような世界観こそ影馬氏らしさなのだろうと思う。また、しゃれっ気に走る時もあるお茶目さんでもある。

 

・向日葵やじゃれ合いながら駆ける子ら

 

・月明り窓の外見る君の顔

 

・通学路紅葉がふわり舞い上がる

 

紅葉狩り小さな手に落つプレゼント

 

・春の夜血走る瞳でエロゲプレイ

 

・萌え袖やAmazon眺め冬支度

 

・台風や負けるなニート共生舎

 

・碧眼や湯気の向こうに栗ご飯

 

・トンボ増ゆ公園統べるアホ毛二本

 

・Don't cry ! Dragonflies do fly !

 

・そぞろ寒あの子の布団に潜り込む

 

・朝霧に乗じて君の胸を揉む

 

・運動会転んだふりして尻触る

 

・秋雨や交換ノートに秘密書く

 

・運動会てるてる坊主に一等賞

 

終戦日一夜一夜に人見頃

 

・霧を行く水兵リーベ僕の船

 

・北風や王政復古の大号令

 

・我思う故に我あり秋のセミ

 

・薄紅葉初孫の手と比べけり

 

・虫の声枯れて尚いる職員室

計21句で私よりも多い。ビビる。

俳句で用いられそうにない、「エロゲ」「アホ毛」「Amazon」など語を平気で俳句に織り込んでくる大胆さ、さらには唐突にはじまるエロ俳句シリーズや、学習俳句シリーズなどの遊び心が初心者とは思えない。かつて教職であったが故の教員ネタも豊富。

 

中でも「萌え袖やAmazon眺め冬支度」の作には突き抜けたものを感じる。「萌え袖」「Amazon」という2語もの俳句らしからぬ語を織りながらも俳句として成立させる手腕。また、「萌え袖や」の「や」は切れ字なのであるが、季語に用いることの多い切れ字を「萌え袖」に用いた大胆さ(萌え袖が季語である可能性もあるが)。スマホタブレットAmazonの冬用品を眺めているふりをしつつ、視線は女性の萌え袖の方へ流れてしまう。いっしょに暮している女性であろうか? 男女の初々しさ、甘酸っぱさのようなものが溢れた作であり、闇属性の私にはまぶしすぎて鑑賞する間に3度死ねる句である。

 

☆FUJI☆

FUJIさんは厳密には山奥ニートではない。よく遊びにいらっしゃる共生舎の理事。実は昨今の共生舎俳句ブームの立役者である。作風としては景を描写する句が多いが、それを通して内面を掘り下げるタイプの俳句詠みであり、共生舎俳句部でいえば私の作風に近いか。

 

・地を駆ける黒影多数渡り鳥

 

・竜が翔ぶ山奥の川蜻蛉だよ

 

・恩つなぐペイフォーワード月さやか

 

・突き進む鰯雲裂き銀輪と

 

・優しさか臆病なのか秋の海

 

ラストの「優しさか臆病なのか秋の海」がいいですね。秋の海を一人ただ眺める男の背中みたいなものが目に浮かぶ。軽薄で明るい夏の海でも険しく厳格な冬の海でもない、秋の海。秋の海のその静かな距離感が心地よい。また上五中七の「優しさか臆病なのか」は秋の海のみならず自分自身にも問いかけられている様に思う。背景を考えさせられる句。

 

 

☆はるはら☆

まさかのはるはらさん参戦。小屋暮らしYouTuberのはるはらさんである。共生舎には一時住んでいたので共生舎ファミリーでもある。Slackというコミュニケーションアプリで俳句部チャンネルを作ったら即入部されていた。興味あるとは思わなかったけど、あの方趣味人だしな。そう思うと納得。

 

・秋雨の拍子を数えギター弾く

 

通例、初心者は視覚の俳句ばかり作り聴覚や嗅覚をないがしろにするものだが、聴覚に特化した俳句である。しかし景が描けていないわけではない。小屋から秋雨に濡れる外を眺めてギターをつま弾く彼の姿が目に浮かぶようだ。雨音をメトロノーム代わりにするという風雅さがカッコいい。梅雨や夏の雨の鬱陶しさと違い、秋の雨の爽やかさのようなものも感じる。雨でも秋ならば楽しいものだ。少し孤独感もあるが、寂しさは感じない。はるはらさんらしい句だなと思う。

 

 

計7名から59句。7名から59句ってすごい。今までの俳句特集で最多な気がする(私と影馬氏だけで40句であるが)。

 

詠んでいただければわかるが、全員作風が違う。とっても面白い。一緒に暮らしていてもこんなに感性が異なるものなのか。俳句は心を映す鏡である。その人の事を知りたければその人の俳句を鑑賞すればよいと思う。

 

最後に今作った私の句を一句置いて筆をおかせてもらう。これを含めれば計60句でキリがいい。これからの俳句部の繁栄を祈る。

 

・山の人俳句詠みけり冬隣                   秋雷