共生舎に帰ったら何を書こうか……

STずっと放置だからさすがに書こう。

 

今でブログ350日連続更新か。もうとくに意味のない記録であるが、ここまできたらとりあえず365日までやって、そっから定期なり不定期なりに切り替えるか。

 

そもそも作ろうと思って放置してきたものが大量にあるんだが。

 

つくし群れ新たな道路に抗議せり               秋雷

やっとこ共生舎帰る目途が立った

長かったぞ……

 

私の部屋無事だろうな……最悪、床が全部腐り堕ちててもかまわないから、置いてきた書籍類が無事であることを祈るぞ……中には絶版本もあるし、全部買い直したらすさまじい額になる……

 

印刷機壊れてませんように……湿気がすさまじいから割とあり得そうで困る。

 

またあの腐葉土みたいな湿気た布団で眠るのだ。

 

燕逆袈裟に空を斬る明日は雨            秋雷

そういや私は性的な要素について強い恐怖心を持っている

さすが童貞。

 

 

まあ、冗談はせておき。

 

恐怖症ってのがある。アラクノフォビアで蜘蛛恐怖症。ゼノフォビアで外国人恐怖症。クラウストロフォビアで閉所恐怖症。多種多様であって、中には笑ってしまうものすらある。長い単語恐怖症とか13恐怖症とかね。人によって怖いものってのは様々だ。病的なレベルでなくとも、多かれ少なかれ誰しもが何かを恐れて生きているんじゃないかと思う。

 

で、私が何が怖いか考えて、それで考え至った結果が「性」だった。

 

正しくは「性かつ暴力」に対する恐怖心が強い。

 

暴力的な描写にさらに性的な要素を掛け合わせたものにめっぽう弱い。気持ち悪くなってくる。共生舎でホラー映画見た時も耐えられなくなって途中退席した。

 

もとよりホラー耐性、グロ耐性は高い方ではない。が、ただのホラー、ただのグロに比べれば性要素を加味されたもののほうがクリティカルに効く。

 

当然、童貞であって、性的な暴行にあった経験などはない。潔癖のきらいはあるが。

 

そもそも性恐怖症関連は女性が持ちやすい恐怖症である。男性の場合は幼少のころによほど酷い体験でもしない限り持たないのが通常である。そもそも性行為というのは男性側にリスクが低く女性側にリスクが高いものだ。性被害というのも男女で比率が違うし、ともなれば男性側に恐れる理由がない。

 

男性向けアダルト作品のジャンルではレイプモノは一大ジャンルだ。ライトなものからヘヴィなものまで各種ある。リョナ要素が強いものもあるし。男性としては恐れる対象ではないから興奮できる。むしろそっちのほうが興奮できるという人もいよう(実行動に移さなければ別にいい。移せば犯罪であるが)。

 

なぜ怖いのか。

 

私には前世女性説がある。と書くとかなりオカルティックに思える。私は科学の申し子であって、基本輪廻転生など信じていないが、「もし輪廻転生があるなら前世は女性だったろう」と思う。

 

自慰の際には、一般健全男子と同じようにアダルト作品をたしなむ私であるが、不思議と男性側よりも女性側に感情移入している。というか、自分を女性に置き換えて考えている。

 

断っておくが、私は異性愛者であるし、TS願望もない。

 

しかしてどうにも、何故か女性側に身を置きたがるのが常だ。よって作品内の女性が気持ち良さそうじゃないと気持ち良くないし、苦痛や恐怖心を感じているようだと凄まじく萎える。というか、何なら自分も苦痛や恐怖心を感じ取ってしまう。

 

なぜか異性側に強い感情移入を行ってしまう。このあたりで、前世は女だったのではと思う。

 

性的でさらに猟奇なホラーをみると加速度的に気分が悪くなるが、とくに下腹部の内臓あたりがしくしくするような感じをうける。腸なり腎臓なりがあるあたりだが、これ女性であれば子宮のあるあたりでないか、と思う。

 

レイプ描写のあるものだと例え小説であっても、途中で投げるときがある。それぐらい嫌だ。

 

そういえば犯罪心理の本にかならず載っているといって過言でないアノ事件。ドラム缶の。あれ関連の情報を目にするたびに強い拒絶反応がある。まああれに関わらず性暴行のある事件は全て目にするだけで気分が悪くなるのだが。

 

強姦と殺人であれば強姦の方が罪が重いようにすら思う。というか、「しょうがない殺人」はあるかもしれないが「しょうがない強姦」はないだろうしな。情状酌量の余地なし。

 

どうにも日本の刑法は性犯罪に甘すぎる気がしてやまない。もう2段階ほど刑を重くして良い。強姦は死刑か終身刑くらいでちょうどいいと思う。

 

でもこの考えも私の恐怖心ゆえになのだろうか。割と女性陣からは支持されそうであるが。男性はどうだろう。そこまで深刻に考えないものではないか。

 

もちろん普通の性行為全般は好むところであるし、あこがれもする。性行為全般を恐れているわけではない。でありながら、性暴力だとか性要素のある猟奇表現だとかに強い忌避感や恐怖心を覚えるのはかなり女性的ではなかろうか。どうであろう? 意外に世の男性陣も私とよく似たものであろうか?

 

 

ぶっちゃけ怖いと言っても殺人鬼だとか怪物だとかなら、命を奪うくらいですんでくれる。蹂躙するのは生命のみだ。ここに性暴力を追加すると精神の蹂躙をも行うことになる。

 

自分が恐れているのはそこではなかろうか。生命が傷つくことなんてろくに怖かないが、精神が傷つくのは怖い気がする。

 

どうやら生命と精神なら精神のが大事だと思ってしまうタイプのようだ。精神の平穏のためなら生命を投げ捨てても良いんじゃないか。

 

ふうむ。面白い。恐怖というのは根源的な感情であるがゆえに、それを解体していけば自分がどういう人間なのか少しは知れる気がする。

 

ぬらぬらと地獄の肉のような躑躅                秋雷

 

なんでもいいが、躑躅って蹂躙と漢字似ているな。足偏なだけだけど。

スキルポイント

レベルアップするともらえるスキルポイント振って強化する系のRPGってあるよね。

 

スキルポイント100あるなら、STRとSPDに振って速攻スタイルとか、INTに振って魔法型とかさ。

 

でも普通100ポイントあるなら100全部振るよね。30だけ振って70残してたら全然強くないし。

 

 

……何が言いたいかって、私の作品ってつまりそういうことっぽいんよね。

 

基本的に与えられたスキルポイント30くらいしか振らずに70を捨てている。たとえ100全部振り切ったとしてもバランスよく振らないと中途半端なキャラが出来上がるだけなのに。100全部振ってないってことは、そもそも土俵にすら立ってないってことよ。

 

つまるところ、考えが浅い。

 

基礎ポテンシャル自体は悪くない(と信じたい)が、あまりに雑い。ビルドをもっと丁寧に、心を砕いて目を配るべき。

 

そもそも萌える要素をもっと入れるべきなのよ。強固な萌え要素を。たとえばただの「幽霊屋敷」だけでは弱い。『開かずの間』ってフレーズ噛ませるだけでぐっと萌えるようになる、とか。とくに意味がなくても萌える萌えないは非常に重要な観点でしょ。

 

基本的に1点の要素のみ振り回して何とかしようとする時点で全てが弱い。属性てんこ盛りキメラにしてしまっては意味わからなくなって本末転倒だが、それでも薄っぺらいよりはマシ。

 

表なら表。裏なら裏。一面しか作らないのが私の書き方だ。良くないに決まっている。両面そろえてはじめて存在できる。片面だけで存在できるわけがない。

 

二次元的であって三次元ではない。しかしてストーリーは三次元である。立体にせねばならない。

 

文章描写にも言えることで、私の文章は非常に空気感がない。立体感がない。もっとふくら膨らませるなりしなければ。

 

 

今のままでは寸鉄殺人なんて夢のまた夢。擦過傷すら与えられない。ぬるすぎる。

 

心に触れられない文字なんて全部インクの染みだ。白紙の方がこれから何でも書ける分ずっとずっとマシなのだ。

 

考えなければ。もっともっと考えなければ成長すらできまい。このまま立ち止まってしまっては死体と区別がつかぬ。

 

「死にたい」と云ってみても赤い躑躅             秋雷

 

 

濃度

素人とプロの差の一つが“濃度”ではないかと思った。

 

やはり名作は濃い。要素が隙が無いように配置されている。私の考えるような駄作とは雲泥の差だ。

 

いろいろ書きたいと思うのはわかるが、もっと考えるべきだろう。純度や濃度を上げる。方向性をきちんと定める。そういうところから、勉強し直すべきなのだ。

 

早朝や躑躅が綺麗だとテレビ云う                  秋雷

石油

一般的に言われているところでは、化石燃料だという。

 

私の幼少のころなどは、「今のまま使い続けると2050年には尽きる」だとか言われて、恐ろしい気分になった記憶がある。しかし今では当分は尽きる様子はないという。

 

そもそも1970年代のオイルショック時に、あと35年で尽きるとか言われてたそうな。尽きる尽きる詐欺である。

 

そもそも化石燃料じゃないという説がある。無機成因論とか言われているものだ。この説では、石油はマントルからでてくる炭素を由来とするそうな。生物の死骸が存在しえない超深度の地層から油田が発見された例もあり、あながちトンデモ論ではない。というかもしかするとマジでこれかもしれない。その場合だと無尽蔵に存在し得るのだとか。

 

まあ新説だろうが旧説だろうが鵜呑みせずに話半分に聞いておくべきだろう。

 

 

21世紀にもなって未だに油燃やしてエネルギーを得ている現実に、夢がないなぁと思う。ただ、個人的に再生可能エネルギーと呼ばれるカテゴリーには信頼性が薄く、それだけに頼るというのが先進国家のありようだとは思えぬ。天候一つでエネルギー量が上下するというのは、あまりに安定供給からは程遠い。

 

原子力エネルギーも、そういう意味で言えば悪くなかった。事故さえ起らなければ。新たなエネルギーとして期待されてはいたが……今では邪悪の権化のごとく語られている。これについてはまた今度書く。

 

やはり注目すべきは核融合発電である。「核」と名がついているので忌まわしい印象を持つ者もいるかもしれないが、核分裂で発電する原子力発電と核融合発電では「カモ」と「カモノハシ」くらいの差がある。まず炉心融解(メルトダウン)が“絶対に”起きない。こう言うと気の短い人に「絶対なんてありえない」なんて言われて怒られそうだが、まあでも絶対に起きない。だって核融合炉には炉心が存在しないのだから。仮に融解したくとも融解する炉心がない。

 

あとやっぱり私と言えば生物学的アプローチが気になる人種である。既存のバイオ燃料はむしろ穀類がもったいないと思うが、ボツリオコッカスだとかオーランチオキトリウムだとかオレオモナス・サガラネンシスなどの油を生成する藻類・菌類を利用したアプローチには未来感を感じる。何故かこの分野は日本で研究が盛んだ。油がとれない国の宿命であろうか。それにしても微生物の中には人類を救うためにそんな奇妙な特性をしているのかと思いたくなるような種があるのが面白い。むろんその逆も多いので一概には言えないが。

 

脱線しすぎた。石油の話だった。

 

個人的に化石燃料という語はロマンがあって好きではあるが。かつて生物の死骸が圧縮されて時間の経過によって燃料になる。ガソリンスタンドで給油する都度、「何物かの死」を車に注いでいる気になる。面白い。

 

虎は死して皮を残すというが、死して化石燃料になるというのもまた一興である。灰になってもろくに役に立たずツボに収納されて石の下で眠るだけ。であればガソリンになって燃やされ車を動かして、あとは温室効果ガスになって地球を暖めるという死後も面白いと思わないだろうか?

 

 

なぜ石油の話をいきなりしはじめたのか。なんとなくである。

 

点々と藤の色が林にかかる               秋雷

ひっさびさに働いた

バナシさんもおっしゃっていたが、偶に働くのは楽しいんだよなー。

 

わりと動けてた気はするけど、体力は下がったねー。とくに左手の握力。

 

普段右手ばかり使っているのな。左の握力は無いに等しい。

 

見えずとも藤の流れる今日の風                秋雷