第一次電波戦争

共生舎ではWi-Fiがあって、山奥ニートたちはそれでネットしているわけだが……

 

今や十数人の山奥ニートが暮らしているため、電波の取り合いとなっている。なんせかんせ十数人の山奥ニートは一人につき2~3端末ほどネットにつなげる機械を持っているのだ。計算上20端末~30端末をルーターにつなげようとしていることになる。

 

推奨接続台数10台の家庭用ルーターでは無理だ。あまりに酷。

 

だれかがネットに接続できるということは誰かが接続できないと言うことである。

 

 

今まで私のPCは何とか接続できていたものだが、昨日1日はハジかれてしまった。ちなみに私は共生舎でもネット端末を1つしか持ってない人間であって、このPCがハジかれる=ネット無し難民と化すということにあい違いない。

 

山奥でネットの無い生活など。無力、無力だ。

 

言って見れば今まで当たり前のように吸っていた酸素をいきなり取り上げられたようなものである。陸にあがった魚……。Wi-Fiに見放されるは神に見放されたも同然。生きるということの難易度が3段階か5段階ほど上昇する。絶望。絶望の時間。

 

山奥ニートにとって、生きるに必要な要素は、「水」「酸素」「光」「電波」の四要素である。そのうち一つが欠けた状態で過ごしていたのだ。頑張って耐えた。頑張った。

 

ブログの更新は、その前日の予約投稿分で何とかしていた。だから本来昨日に投稿するはずの今日の0時の分が投稿できなかったのだ。このまま電波難民のままだったら最近の毎日投稿記録が破られるところだった。死ぬかと思った。

 

今朝起きて電波が通じたことに気づいた瞬間の悦びは筆舌に尽くしがたく、この時ほど生を実感したことはそうそう無かっただろう。無電波の樹海を延々と彷徨っていた私は、なんとか光差す世界に戻ってこれたのだ。これが喜びでなければなんだ。

 

今朝、ブログを確認してみたらアクセス数が激減していた。昨日の記事じゃなあ……と思うと同時に、電波さえあれば何とか出来たものを、と口惜しく思う。というか1日で50アクセスくらい下がるってどういうことなの。まじかよ。

 

電波無いとかモウマヂムリ。

 

この問題は共生舎で最重要事案として扱われている。あのバナシさんですら電波の恩恵にあずかれなかったりしているのだ。業務用ルーターの導入を検討中であるが、もうなんでもいいんで早く買ってください。まじでお願いします。

 

高額な物でもこの人数で割れば一人頭は安い。そういうところは共生舎の良いところだろう。とかく昨日は辛かった。まじで。今日の記事で「まじで」という言葉を乱発しているが、電波無くなると語彙力下がるのだから仕方ない。それほどのものなのだ。電波とは。