家畜と愛玩動物

――満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。

 

イギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミルの言葉だ。これは現状に満足してしまうものよりも、不満を持って幸福追求をするものの方が良いということで、自由の無い家畜の幸福よりも、自由であるがゆえに不幸を感じる人間の方が良いという意味合いのはず、だ。

 

 

でもそれって本当だろうか。

 

いや、豚と人間なら人間の方が良い。あの狭い柵の中で何の疑問も抱かずただ出されたエサを食い満足する豚になどなりたくはない。でも、だ。

 

犬と人ならどうだろう。

 

 

――誰からも愛されない人間よりも誰かに愛される犬の方が良い。

 

これは山奥ピエールの考えた言葉だ。

 

ペットとして飼われる犬にはあまり自由はない。でも飼い主から存分に愛情をそそがれた犬は幸福そうに見える。それに比して、現代人は愛情に飢えている気がする。核家族化も進むし、若者の恋愛離れなんて言葉もある。ツナガリを求めてSNSを徘徊する者も少なくない。これは愛情不足によるものではないかと思う。

 

誰からも愛されずに孤立する人間と、飼い主の愛情のもとで生きる犬とではどちらが幸福だろうか。どちらになりたいだろうか。

 

犬の方が良いかもしれない、なんて思う。愛情の向け方や質にもよるだろうけど、でも誰にも愛されない人生って何の意味があろうか? ここで言う愛情とは男女の物だけでなく、親子や友人関係も含む。それらすべて無くただ孤立する人生って、意味あるかな。人間は典型的な社会性動物で、誰かと触れ合わなければ生きていけない生き物ではないか。

 

私はどれだけ自由であっても孤立した人間にはなりたくない。不自由でも愛される犬の方が良い様に思う。というか個人的な意見においては、できれば麗しい少女に飼われるラブラドールレトリーバーになりたい。まあそこはどうでもいいんだけど。

 

人が人らしくあるにはただ自由なだけではダメなんじゃないのかな。やっぱ人と人とのつながりみたいなの、大切だと思う。私の言うことではないかもしれないけど、そう思う。