百蟲俳句「くらげの句」

実は前回の梅雨の句の裏で「+αお題」というものを出していた。

それが「くらげ」である。

 

魚芽先生に新しいお題をねだられた結果、このお題に決まったわけなんだが、個人的には中々どうしてしっくりくる。他の人たちはどうやら高難易度に受け取って苦しんでいたようだが。

くらげに関わらず虫の句を詠む時はどうも普通の句の時よりも具合が良い。

 

 

虫に関する四字熟語で彫虫篆刻という言葉があるが、この言葉は自分に言い聞かせなければならない語だ。意味としては細部にまでこだわて書き上げた文章のこと。小さな虫を彫るほどに細かい文章ということか。

というわけで「百蟲俳句」と題して虫を季語とした俳句を詠んでいこうと個人的に決めた。俳句を詠むと言うことは語をつきつめてみることに他ならない。わずか17音の文芸に無駄な字一字とてあってはならず、それは虫の子一匹逃さない精神の要ることだ。よって私はここに文章を極めんとする者として虫を用いて日本語の研鑽に励みたい。

 

私以外にも詠んでくれたものがいるため、それも紹介する。

 

【作者:秋雷】

 

・読むたびに首をかしげる水母の字
コメント:どうして水母と書いてクラゲと読むのだろうか、と不思議に思う。

 


願わくば来世はぷかり水母の子

コメント:ぷかり、ぷうかりとただ波に流されていきたい。そんな風に思う。

 

 

雨の夜じっと見入るは海月かな

コメント:雨の降る海に何故居るのだろうか。そして何をするでもなくクラゲを見つめている意味とは。

 


きっと甘いスプーン一杯ゼリーフィッシュ

コメント:かわいらしい女の子になった気分で詠んだ句。よってずいぶんと作風が違う。

 

夜夜中海原一面海月咲く

 コメント:[よるよなかうなばらいちめんくらげさく]と読む。海を草原に、クラゲを花に例えた句であるが、しかしてその実漂ってくる不気味さは何だろう。真夜中に海を見て大量のクラゲが浮かんでいるのに気付くには、多量の光源が要る。つまりこの夜は月夜なのだ。巨大の満月の下、月光に照らされた無数のクラゲがふうよふうよと漂うのを見ている。クラゲの多量発生といえばお盆を過ぎたあたりで、どうにも海の向こうから霊の類がクラゲに乗ってやってきたのではないかなどと勘ぐってしまう。
リズム感の良い韻文でありつつ字面の遊びもあり、それでいて切れ字は用いないという。個人的にはよくできたと思うのだけれどいかがなものか。

 

【作者:VV】

 

・くらくらげげくらくらげくらくらげくら

コメント:…………(秋雷解説)

 

 

【作者:ヨシ】

 

・追憶に浮きしクラゲは不透明


 

この記事を見たことがある人は私のブログの熱烈な読者だ。実は6月12日に一回、間違えて投稿してしまっている。慣れないこと(労働)をするものだから投稿する気のない記事を書きかけで投稿してしまった。軽く落ちこむ。