G先生にスプラの記事を書かせたのは私であります。

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一昨日の私の記事で話した内容をここでG先生が書いているわけだが、これは私が書かせた記事である。

 

 

G先生もブログの更新頻度低い。同時期にブログを始めた山奥ニートブログ三人衆(ponさん、G先生、ピエール)のうち、ponさんはもはや脱落したとみていいだろう。G先生も半ば脱落気味である。当人いわく書くことがないとのことだが、いや書くことはいっぱいあるだろう、逆に無い私が無理やり書くためにG先生のネタ勝手に使ったりしたくらいで。スプラの話は本来ならG先生のネタであり、私が書くことではなかったはずだ。だから書いてみ、って言って書かせた。

でも面白くない。

 

あの一連の騒動自体、すげえ面白いネタなのに……。

 

そもそもG先生のブログはG先生の良さを1‰も出せていないように思う。あのブログを読むだけではそうは思えないだろうが、G先生は共生舎のムードメーカーで、いるといないとでは大違いなのだ。共生舎は面白い人が多いけど、その中でも屈指の面白さを誇る人材がG先生だと思う。私はG先生を高く買っている。

まずG先生はデカい。180センチを優に超えている。巨人である。もう見ただけで面白い。手足が長く、スタイルが良い。通称、「朝だけはイケメン」。

G先生は声が大きく、騒がしい。共生舎一の発声量を誇る。すさまじく声が通る。しかし朝だけは寝起きでテンションが低く、寡黙になる。この寡黙の状態を指差して、「朝だけはイケメン」と呼称する。まあつまり黙っていればイケメンなのに……ということである。そりゃ、あの偉丈夫で寡黙でクールなキャラクタであればカッコいいに決まっている。残念感が山奥ニートらしい。

 

G先生の優れたるところは凄まじいまでの言語センスに寄る。彼の話を聞いて、そこでそんな言葉を用いるのか? と思うことが多々ある。これ一見すれば「間違った言葉を用いている」だけじゃない? って思われるかもだが、実際はその真逆だ。現代人があまり使わなそうな、古風な言葉をひきずりだして来る。よくそんな言葉知ってるなあ! と感心する。というか私は知っていても使わない。自分は小説書きであって語彙数には自信がある方であるが、G先生ほど多彩な言葉遣いをできていない。日常会話におけるG先生の鮮やかな語彙の用い方には舌を巻く。それでいながら語る内容はくだらない下ネタだとかなので、笑える。職人の手によって精緻な装飾を施されたしゃもじを差し出されたみたいで。しゃもじかよ! みたいな。

 

さらにG先生は流れるように嘘をつく。嘘をつく必要のないところで普通に嘘をつくので騙されること多々である。さらにここでもG先生の言語センスは光る。ありもしない言葉を即興で作り出すのである。しかして、その反射速度もさることながら、その言葉の「さもありそうな感じ」が凄まじい。人間、即興で言葉を作り出せと言われてありそうな言葉に仕上げるのは難しいものだ。だがG先生の圧倒的な言語センスはそれを可能にしてしまう。ネーミングセンスというものに秀でている。

 

この言語センスは恐ろしい。自分は文学樹海の鬼獸である。言語においては少しは自信があるものだが、その自信をへし折りに来る。そもそもニコ生やブログを展開し、テレビにも度々映るバナシさんや、文学樹海の鬼獸である私を差し置いて、共生舎一の言語センスを持つというのは本当に悔しい。バナシさんだって悔しいのではなかろうか。

 

台風の語源をたどっていくと、ギリシャ神話の巨人テュホンに辿り着く。神すら畏れさせ、一時エジプトへ逃れさせたギリシャ神話史上最大の脅威である。私からすればG先生はテュホンである。努力で培った私に対し、才能だけを振り回して私以上の結果を残すのだから恐ろしい。G先生という巨人の通った後には何も残らない。G先生が面白すぎて、私なんてその他大勢にかすんでしまう。

 

それでいながらG先生は空気が読める。さらに優しい気づかいもできる。あの巨人は卑怯だ。そりゃ愛される。

共生舎も十数人が棲んでいるため、みんな仲良しというわけにいかない。口には出さないが何人か内心あの人のことは苦手だなあと思っている人もいることだろう。しかしG先生を嫌いな者はいないのではないか。ほとんどみんなから愛されている。私はといえば、たぶんそうではないだろうな。何人かは仲いいと思うけど、みんなから愛されている自信はない。

というか共生舎内で一番G先生のことが嫌いなのは私だと思う。

 

最初に断っておくが、私はG先生のことが大好きである。しかしG先生に嫉妬する醜い炎に焦がされてもいる。あのセンスは嫉妬されてしかるべき。さらに身長だって……私はG先生よりも20センチ以上小さい。昔、弁論部だったのでよく通る声もうらめしい。だからたぶん、共生舎で一番G先生のことを嫌っているのは私だと思う。

 

努力でどうしようもない部分を平気で彼は獲得してしまっているのだから、あの巨人は始末に負えない。私の欲しかったものの多くを彼は握りこんでしまっている。さらに努力家だったりもするので何だこれはとなる。私の立つ瀬は。いずこに。

 

G先生はユーチューバーか漫画家になりたいそうだ。あるいはどっちもに。これ他の誰かが言ったら「なれるか、現実見ろ」って思っちゃうけど、G先生なら普通にこなせそうだと思う。だって面白いのだ、G先生は。そばで見ていてあれほど面白い人材もいまい。

 

だがブログにおいてG先生は全然面白くない。ただただ頭がおかしい人という感だけがある。最初は笑えたけど、今は笑えない。普段のG先生のオモシロオカシサを知っている身からすれば、あんなブログではG先生は表現できていない。

 

個人的には、ブログでも猛威を振るってほしいものだ。G先生のブログが面白すぎて、私の書く駄文ブログなどかすんでしまい、私を絶望させてブログを閉鎖するところまで追い込んでほしい。

 

台風過巨人の歩き去る深山                     秋雷

 

G先生とは「共生条約」を結んでいる。もし私が小説家になったならそのツテを用いてG先生は自分を売り込み、もしG先生がユーチューバーや漫画家になったらそのコネで私の名を発信しても良いという、共生関係の共闘条約である。だから私はブログでG先生を言及する。「仲間」という意味で言えばG先生こそ共生舎で一番の私の「仲間」である。そして敵でもある。

 

G先生が何らかの形で世間に出てほしい。あの巨人を押し込んでおくには山奥は狭すぎる。世間という世間を踏み荒らし、世にはばかり、猛威を振るい、巨人としての真価を発揮してほしい。私という共生舎一の小人は共生舎一の巨人を高く買っている。