山奥ピエール
そもそも不特定多数に公開する気がなかったが故に自己紹介する記事すら作ってなかった。幾分遅すぎる気もするが、ここで書いておく。
私は山奥ピエールである。NPO共生舎で厄介になっている山奥ニートの一人で、小説を書きたいと思っている。
ここで書けることがこの程度しかない。じゃあ別に自己紹介記事要らない気もする。
共生舎に来るまでの来歴とか書くべきなんだろうけど、個人的にあまり書きたくないな。
共生舎は私が思うに、創作者にとってある意最高の作業場だ。ここなら思う存分、自分の好きなように作業できる、と思う。
現にブイブイブログのG先生なんかはすでに4コマ漫画をブログに上げていらっしゃる。すばらしいことだ。私も見習って、早く本文を上げたい。
そういえば昨日はバナシ先生とG先生と私との三人で、創作家特有の優雅な会話を深夜まで愉しんでいた。やはりクリエイター同士でたわむれているのが凄く楽しい。主にスポーツモノを書く際の話をしていて、私はほとんどのスポーツに興味を持たないタチだが、それでも楽しかった。あれほど笑ったのも久しぶりだった。
話していて思ったが、バナシ先生は非常に安定感があってさらに頭の回転が速い、G先生は発想センスの高さと瞬発力が高い。私は二人に比べればまだまだだなあ、と思う。精進していきたい。
もときた0-4
さすがにアクセスが落ち着いてきた感。放っとけばそのうち0化するだろう。
フィーバーは一過性の物。盛者必滅。栄枯盛衰。
もともと他人に見せる気などなかった癖して、少し寂しいと思っている。まったく、自分のゆらぎたるや。
「もときた」の設定を構築中である。亜人種みたいなのはだいたい考えついた。
異世界ファンタジーモノで安直に「エルフ」「ドワーフ」「オーク」などを出すことに抵抗感を抱く。それは指輪物語作者トールキンの偉大な遺産だ。それらの種族の存在にちゃんと背景があるのであればいいが、そうでないのならただ偉大な先人の遺産の食いつぶしでないかと思ってしまう。
指輪物語の舞台、中つ国のためにトールキンは神話まで考えた。「エルフ」「ドワーフ」「オーク」だけでなく、ほとんどの怪物に来歴が存在する。いつエルフ族は生まれたのか。なぜオークは邪悪なのか。バルログとは何か。ナズグルとは。だいたい全て説明をつけられる。それどころか言語学者であるトールキンは、エルフのために「エルフ語」という言語を作り出した。言語丸々作り出すという凄まじさ。さすがにそこまで真似はできないが……。
創作者かくあるべき。トールキンは後に続く者にファンタジーの在り方を指し示したと思う。神は細部に宿ると言い、細部をおろそかにする者は神に見放されると私は思う。いかに細かいところを詰められるか。それはファンタジーの良しあしを決める指針の一つだろう。
私が偏屈なだけかもしれない。今は細部なんて気にしないモノが流行ってるやもしれない。それでも、だ。私は私が正しいと思う道を、私のやり方で進む。それで結果を出して見せる。私はトールキンではないが、山奥ピエールではあるのだ。山奥ピエールとしての思念を捨ててしまえば、後には何も残らない。
猿猴捉月
すでに200アクセスを超えた。わずか2日で、である。バナシさんパワーを思い知ると同時に、戦慄を抱く。
せっかくアクセス数が激増したにもかかわらず、未だに小説をアップできなくて非常に申し訳ない気持ちになる。だからちょっとした小話をここに上げる。
すでに共生舎でも数人には話した。わりとウケは良かった。
「猿猴捉月」という四字熟語がある。
これは訓読すると、「猿猴(えんこう)、月を捉(とら)う」になる。昔、サルが池に映った月を手に入れたいと思い、木の枝から手を伸ばすも、枝が折れて池に落ちておぼれ死んだという故事を元にした語である。「身の程にあわないモノを求めれば痛い目に合う」くらいの意味だ。
私は、この言葉が好きだ。
急に話を変えるが、青いバラ(ブルーローズ)の花言葉をご存じだろうか。かつては存在しないモノの代表格であり、その花言葉は「不可能」だった。しかし日本企業のサントリーが2004年に遺伝子組み換え技術によって作り出し、現実に存在するモノになる。花言葉は「不可能」から「夢かなう」に変わった。
花言葉が時代に合わせて変化するなら、四字熟語だって変化してもいい。だってサルは月に手が届いたのだから。
1969年。アポロ11号は月面着陸を果たした。人とてサルの一種だと言えば、サルが月に行ったと表現しても良いだろう。サルは月に手が届いた。翼すら持たず、空を飛ぶことも独力ではかなわず、地を這うくらいしかできない我々人類は、努力と技術によって月にたどり着いた。不可能を可能にした。
サルのくせに月に手を伸ばすなんて、と笑う者が月に届くことはない。身の程をわきまえない、愚かなサルが努力を重ねることで手が届く。夢を抱かない者が夢をかなえることは無い。たとえ笑われても、バカにされても、夢を追った者のみが夢に届く。
今や「猿猴捉月」は、「愚直に夢を追えばそれは叶う」という意味になった――と、私は思っている。この広い世界中で、私だけがそう思っている。きっと、私だけの言葉。
私は、この言葉が好きだ。
もときた0-3
案の定、アクセス数が激増した。バナシさんすごい。やっぱ有名人は違うなと思った。
何か昨日の記事に☆とか貰っちゃったりしたんだけど。いいのか? 未だ一作も載せていない小説ブログなんてただの電子ゴミじゃないのか。
焦りを感じる。しかし多少焦った方が良いのかもしれない。山奥ニートだし。
なるべく早く「もときた」の本文を挙げたい。本文の上がってない小説ブログなど(以下略)。
「異世界モノ」×「超能力モノ」であるわけだが、もう1要素欲しい気もする。しょせん天才ではない私は、既存の要素の新しい組み合わせによって「オリジナリティ」を主張するしかない。ふむ。ここは考えどころか。
「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」
たしか浄土真宗の宗祖、親鸞聖人か誰かが言った言葉で、「自分のことを善人だと思いこんでいるアンポンタンですら往生できるんだから、自分が悪人であると自覚できる人間が往生できないわけがない」くらいの意味の語だ。仏教はあまり好みではないが、この言葉は好きだ。
自分に才能があるなどと思っているうちはダメだ。才能がない事を自覚した上でどうすればいいのか考えるべき。自分の悪に気づけないうちはまだまだ道は遠い。
もときた0-2
最近遊び過ぎた。五月からは頑張ろうと思う(毎月言ってる)
このブログについて訊かれたのでバナシさんに教えた。
そしたらブログでバナシさんにさらされてしまった……! いや許可出してないよ! バナシさんが読むだけだと思って教えちゃったんだよ! もうやっちゃったもんはしょうがないけど!
やだなあ……もうなんかどうでもいいSS置き場にしちまうか……? 何かどうも不特定多数に作品を見せるのに抵抗が強い。なんだろ。身内なら平気なのに。
まあいい。なんか嫌になったらブログを閉鎖しちゃえばいいだけのこと。
「もときた」だが、もともと発火能力の主人公にするつもりが、それだと様々な漫画のパクリみたいになるため、別の能力にする。現状、設定の作りこみ中であるが、全くと言っていいほど進まない。そもそも異世界ファンタジーは異世界の設定をどれだけ詰められるかが問題である。なんかいわゆるステレオタイプな、よくあるイメージの流用は思考の放棄だと思う。
先人の築いてきた遺産を食いつぶすだけの創作者にはなりたくない