G先生がついに動画を上げた

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今さらながらまた説明すると、G先生ってのは私といっしょで、共生舎に住まう山奥ニート。ユーチューバー志望。しかも離れ組。

 

離れ組は、バナシさん、私、G先生の3人。バナシさんは今回「本書く」って言って頑張っている。G先生はユーチューバー志望で私は小説家志望なので、共生舎でもクリエーター系山奥ニートが習合しているのが離れ組である。

 

あー。まずい。

 

バナシさんの本出す話もどんどんまとまっていっているみたいだし、G先生は動画出すし……まずいな……私だけ置き去りになっている感。

 

書かねば。

 

あと他人が動画出していると自分も出したくなるな……くっ……

 

んー。今はやるつもりなかったけど、無理に時間作ってやってみようかな……私のやりたいのはG先生よりも手間かからないだろうし。

 

とにかく、G先生の躍進がこの動画からはじまるのだ。君らが目の前にしているのが、伝説の始まりである。

基礎さえしっかりしていれば大抵のことに苦しむことは無いのでは

思うに、急いて基礎をすっ飛ばしてしまうと、結局何にもならぬ。

 

自分の小説がほぼそれであって、今、基礎から固め直そうと勉強中であるが、最初からやっておけばよかった感が凄い。

 

何においても、おそらくそうだろうなと思う。

 

基礎をきちんと押さえておけば、そこそこしっかりしたものは出来上がる。とりあえずはその「そこそこしっかり」ができていればいいのだ。それを踏まえて応用をしていけばいい。

 

「そこそこしっかり」すらできないのに応用をしようとするのでわけのわからないものができあがる。阿呆かおのれは、と。

 

むずい……。こんなむずかったのなー。でもむずいなりにここ押さえれば後は楽だと思うので。耐えて勉強するしかないな。ふうむ……。

何気に、ブログ250日連続更新してる。

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すごくない? 250日間毎日更新ですよ?

 

まあ、内容の無い記事の日も多数ありますがね……

 

内容が無いよう、なんちゃって(ブリザード)

 

ただ色々と思うところあるな。

 

1、実は昨日から俳句をつけてない

 

私のブログの特徴として、ブログ末尾に俳句をつけるっていうのがあったのだが、昨日からやってない。

 

これの理由としては

①需要無い

②クォリティが低い

③しんどい

の3点。①、③はわりとどうでもいいのだ。②が致命的。

 

たとえ需要が無かろうがしんどかろうが、納得のいく作品が作れるならいい。でもあまりにもクォリティが低すぎる。成長がみられない。

 

これはブログの末尾につけようと思って詠んでいるから。俳句を詠もうと思っているわけじゃない。ブログを書くための句はあまりにおざなりで酷い出来である。

 

あと何か月か後に時間が取れる時期がくるので、それあたりからまたやり直したい。それまで一端俳句はお休み。

 

ちゃんと時間とって、ちゃんと向き合わないとだめだ。そん時はついでに短歌の勉強もしたいな。

 

2、そもそもブログしんどい

 

いや、もうマジでしんどい。何書いていいかわからんし。

 

毎日更新にすればコンテンツ量は豊富になるし、アクセス数もあるていど固定化されるけど、一つ一つの記事のクォリティは激減するし、なんか朝三暮四的な悪さを感じるな……。

 

本当は数日おきの定期更新に切り替えて、クォリティの高いコンテンツをある程度提供し続けるって方がいいんだよな。ゴミ記事を量産することに何の意味があるのか?

 

でもせっかく続けたので今更辞められない感。これはねーどうしようもないね。少なくとも自分の目的を達するまでは毎日更新で……願掛けみたいなものよね……

 

しょうがない。でも毎日強制で文章書いているので文章書く癖はよくついた。こういうメリットも割と多いので、まあいいんでないでしょうか。

 

 

 

山奥に辿り着くまでの途上で、ホントにあった話

私は、和歌山の端から目的の駅まで向かう電車に乗った。

 

和歌山県は若者の流失率ナンバー1だと聞いていたが、ガラリとした車内には、若い男が何人か乗っていた。和歌山県にも若い男はいるのだな、と他人事のように思った。

 

しばらく本を読んでいたが、ある程度読み進めたあたりで疲れてしまった。昔は一冊読み終わるまで本を閉じることは無かったのにと苦笑し、顔を上げてぼんやりと周囲を見た。

 

若い男がいた。

 

たくさんいた。

 

今やこの電車の乗客においては若い男以外の方が少ない。空いている車内に点々といる乗客の過半数は若い男だった。

 

平日の昼間に?

 

それも、若いのは男だけだった。若い男がたくさんいれば若い女もいそうなものだが、見渡す限り、男ばかりなのだ。異常な空間に思えた。

 

私はぶしつけに一人の男の顔を見つめた。視線に気づいたのか、その男と目が合って、顔をそらした。

 

その時気づいた。

 

彼からすれば、私も不可思議な若い男の一人なのだと。

 

何か作為的なものを感じた。まるで私がこの電車を選んで乗ったのではなく、電車が私を選んで乗せたような気持ちになった。

 

何だか不安になった。

 

結局、電車は終点に着き、私を含め若い男たちはみんなそこで降りた。何かこの田舎で催しでもあったのだろうと思うのが妥当か。そう思うことにした。

 

だが、不穏な気分は晴れなかった。

 

 

今回、山奥へ帰る道中にあったホントの話。何だったんだろう。20代前半くらいの子がたくさんいたんだけど。大学の何か? でも男ばっかりなんだよな……?

久々に山奥に帰れた。

半月ぶりかな。

 

まー

 

寒い。

 

すっげえ寒い。

 

尋常じゃなく寒い。

 

なんか風呂の窓凍って閉まらなくなってたもん。窓閉まらないって意味わからないんだけど。

 

さむい……

 

寒い以外には問題という問題はない。いつもの共生舎。山奥帰ってくると、ああ、良いなあって思う。何が良いか、具体的にはわからないんだけど。

 

自然と人と、穏やかな日々って、贅沢だよなあ。どれだけ働いてても、どれだけお金を持っていても、私たちほど豊かに生活できる人って少ないんじゃないかなー。物質的な豊かさだけを追い求めていたら、精神的に満たされる日は来ないだろうし。

 

霜の侵略進めり夜の庭                       秋雷

燃えなくていい。

燃えるものはいずれ燃え尽き灰になる。

 

飛ぶものはいずれ落ちる。走るものもいずれ倒れる。生けるものはいずれ死すべき定めにある。

 

栄枯盛衰であって、盛者必滅である。

 

 

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メモ帳2

原初の物語は原始時代の狩りではないかと思う

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どっかでこの図と同じやつ見たぞ。教本。大塚英志先生の書いた奴では。今、手元に無いから確認のしようがない。

 

①腹がすく。

②村を出て、狩りに行く

③獲物をしとめる

④村に獲物を持ち帰る。

 

内(村)→外(村外)→内(村)

 

行って帰ってくる。

 

内サイドから見れば「消えて、また現れる」。その消えていた間の情報がストーリー根幹部。その根幹部を外へ出ていった者が持ち帰り、内にいる者に伝えることが「物語る」ということではなかろうか。

 

いかにして、外へ行くのか。いかにして帰ってくるのか。

 

1、内にいる主人公が外へ行く動機のための装置

2、外へ出た主人公が目的を達するのを助ける装置

3、外へ出た主人公が目的を達するのを妨げる装置

4、外へ出た主人公が内へ帰るための装置

↑簡略化すればこんな感じ? 装置=人物やクエスト?

 

機能的に物語を見る。機能?

 

貴種流離譚オルフェウス型神話など?

 

強弱? アクセントが必要?

 

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↑こんな感じ?

 

常→非常のアクセント。

 

メリハリ

 

主人公を動かす機能的装置。主人公は基本的に外的要因で動く。

 

→外的要因=装置。必要数そろえる。過不足どちらもアウト。

 

後ろから押す装置、前から抑える装置?

 

主人公自体は前から抑える装置? 自分だけでは進みたがらない?

 

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 この図で言う、前方への力と後方への力がぶつかった時、逃げ場を失った力により前後でなく、上方向へ跳ねる。この跳ね上がる状況が「盛り上がり」ではなかろうか?

 

つまり強弱をつけて盛り上がりを各所に入れたければ、その都度後方へ押し戻そうとする力の装置を用意するべき?

 

 

アウトラインから因数分解していく? 上記の情報を元にしつつ考えていく。

 

目的を意識する。目的に必要な装置を必要数準備する。機能的に考える。

 

 

飼い犬の砦と化する炬燵かな                秋雷