私の頭はとても固い

物理的な話ではない。発想的な話だ。

 

かくあるべし、という固定概念を一度形成すれば、それを撤回するのが困難になる。いかにも年寄りらしい頭の固さ。

 

ファンタジー原理主義とでもいうべき宗教にどっぷりとつかっている故、「ハリポタはクソ。指輪物語こそ至高」とか平気で言っちゃう性悪さ。しかしハリポタが実際売れている作品であることは確かで、そこは王道に沿った面白さをことごとく押さえている点を評価すべきだと思う。

というか、私は王道を軽視し過ぎなのだ。

 

奇をてらえばそれでいいと思っている節がある。ファンタジー原理主義者でありながら……。

 

たぶんキャラクターからストーリーを立てるやり方を学ぶべき。あと、そもそも神話類型から勉強し直して、王道というものをよく知るべき。

 

小説は自由たれ。かくあるべしなどという「柵」こそ憎むべし。柵で囲った中では小さな物語しか育たん。

 

「王道に沿うた上で自由な作品」。これこそが私が書くべき作品ではないか。今私がやろうとしているのは「外道でありながら不自由な作品」だ。

 

幾人もの先人が通り踏み固められた道を、新しき風が通る。そういうのがいい。だれも見向きもしない獣道を古ぼけた魔物がうろうろしていては何も生まないのだ。

 

薫風や古い酒を舐める父              秋雷

 

ふむ。父などという言葉がここで出てくるのも中々に感慨深いな。男の子は父親を超えて初めて成人したと言えよう。であれば、ともすれば、一生子供のままではないかという疑念が……。


い、いずれ。いずれな。今は雌伏の時。焦りは禁物だ。一石ずつ積み上げていけばいずれは山にならん。いずれは天に届かん。今は雌伏の時。落ち着いてかかるのだ。