九月の掲載句

・秋めくや彼の地も星が瞬くか

 

・独りでに月見するかなメランコリー

 

・何者か考える間に秋になる

 

・賑やかな友ら彩る秋の山

 

・くるくると変ずる秋の車窓かな

 

 

・山折りに涼風至る千羽鶴

 

・白百合や女学生の笑い声

 

・秋髙し太陽所以の頭痛せり

 

・月の射す私の色の白き事

 

・秋雨や恐怖映画を見る友ら

 

・頭痛して日の威に触れり初紅葉

 

・山の人夜長に甘味食べにけり

 

・秋湿テレビ撮る人忙しけり

 

・青空やどこか近くの秋の声

 

・薄鈍め秋の月すら駆けるのに

 

・二十五の私や月は白なるを

 

・蜻蛉や二の句が継げぬ未熟者

 

・夢を刺す朝の日差しや台風過

 

・コオロギや箪笥の腹を満たさせる

 

ガラケーの傷なぞりけり秋の夜

 

・秋海棠誰を想って色づくか

 

・秋海棠妻となる人の横顔や

 

・秋海棠悲しい故に顔を伏せ

 

・秋海棠頷いて闇に溶けゆく

 

・捨てることを捨てると決めり断腸花

 

・断腸花問う人の世は良いものかと

 

・電波絶え死体になれり秋の雨

 

・電波生きて人も生けり秋の夜

 

・蜘蛛走る夜の白けて明くる頃

 

・喜びてクジラ飛ぶなり月の海

 

・コオロギやゲームのマップの白きこと

 

・鹿鳴くや夢から覚めれどまだ暗し

 

彼岸花赤で私を祝いけり

 

・秋没日セーブし忘れ絶望す

 

・秋晴れの公園人は人なりけり

 

これで九月までにブログに上げた句は183句に。今月中に200句いくねえ。

 

相変わらずの玉石混合っぷりに笑う。ただ最近、ブログ書いてて思うのだけれど、自分の表現の幅が確実に広がったよ。絶対に俳句効果だと思う。

 

前より隠喩の使い方が上手くなった。自己否定悪循環+残骸錬金術+分裂型執筆法=?
の記事なんか顕著じゃない? 「自己否定によって、「自己肯定の螺旋階段」を転がり落ちていく」とか昔の私で書けたか?

 

一語の可能性を信じることこそ俳句の技である。それを習得すれば文章それそのものも上手くなっていくのは必然である。

 

三歩進んで二歩下がる式の進みであるが、それでも前進はしている。いいもんだ。

 

雪迎えメランコリーの風赤く           秋雷

雪迎えは子蜘蛛が糸によって風に乗って飛ぶ現象だって。それが起きてから雪の季節になるから、雪迎え。良い季語だ。

 

季語を調べるたびに日本語の美しさに撃たれる。こんな素晴らしい財産を昔の人たちは私たちに遺してくれたんだよ。それを使いこなしたいじゃないか。俳句だけじゃなく小説でも。

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