小説全然間に合いそうにないので謝っておく

今書いてるんだけど、どうにも主人公のキャラクターがつかみきれてないのと、展開がどうすればいいのかを考えあぐねるので難航していた。

 

今やっとちょっとはスムーズに作業してるけど、一回書いたものをナシにしてまた書き直してるのですげえ非効率なやりかたになってる。

 

まあ、初稿版よりも改稿版のが主人公が生き生きしてるので書き直すこと自体は良かったのだけれど、とんでもなく時間かかる。

 

だいたいおそらく2万文字くらいになるのかな。出来る限り早くやりたいのだけど……加工場建てる作業もあるので徹夜できないし。昨日は加工場作業ないのだからもっとやればよかったのだけど……書き直しとか……もう……

 

意外にこの主人公好きなんだけどね。クソ生意気なところとか、世の中舐めてる態度とかが私に重なる。

 

最近、私の一人称が「僕」になりつつあるのはこの子の影響だと思う。この子の一人称が「僕」だから。

 

月光の重さ生き身を貫けり              秋雷

 

いやー、でもたぶんそんなに時間かからず終わるんじゃないかなーまた書き直しとかしない限りはー

 

しないよね? え? さすがに? 

俳句は上達すればするほど一般人に理解できなくなるという弊害がある

俳句というのは語と語の響きあいが如何に美しいか、っていう文学作品だって思うのだけれど、でもそれを極めれば極めるほど俳句を勉強したことが無い人たちに理解されなくなっていく。

 

まるで高尚な芸術が一般人に理解できないように。

 

まあ、私がその境地に立っているのかっていうと全然そんなことないけどさ。これから俳句を上達していっても一般人に理解されないんだって思うとなんか虚しい。いや、あくまで俳句は小説の表現の幅を広げるためにやっていて、そういう意味では結果は出てるからいいんだけど……それだけじゃーつまんないんだよなー。

 

おーいお茶のやってる「おーいお茶新俳句大賞」とかマジそう思う。あれ、ちょっとだけ俳句の勉強した身からすれば「大して響いてない作品」ばっかりに思うんだよね。ぶっちゃけそんなに良い作品でもない。でもお茶の側面に高尚でほとんどの人に理解されない俳句載せるくらいなら分かりやすいあれくらいの作品がいいんだよってなる。そりゃそうだよなあ……

 

矛盾。どうする。

 

川柳と俳句は全然違うものなんだよね。俳句から見れば川柳なんて俗的で芸術性は低い。ダジャレ的な感じ。でも、理解されるのは川柳の方なんだよなあ。で、理解される俳句ってのを作ろうとすると川柳化するんだよ。「おーいお茶新俳句大賞」も「季語の入った川柳」みたいになってる。どうしようもないよなああ。

 

かろうじて理解される俳句ってなると確実に一物の句でさらに「気づき」の作品になってくると思うんだけど、それって難易度めちゃ高いですやん。そうでなきゃわからないか、わかったとしても川柳か標語みたいになる。川柳や標語になってるのを一番嫌がるのが俳句詠みなんだけど。

 

まだ短歌の方が可能性あるよ。俳句が17音で短歌が31音。倍くらい違う。57577もあれば、575で整えて77でオトすって手も使えるけど、575だけだと57で整えて5でオトすことになる。っていうことはオチはほぼ一語だよ。一語って。俳句じゃほとんど隠喩しかできないけど、短歌なら直喩も簡単に行ける。むずい。

 

現代短歌って良いと思う。一般人にも理解できるし。サラダ記念日とかさ。口語調散文的表現でも何とか形になるだけの文字数があるって羨ましい。

 

文語調韻文表現でかつ季語を入れて、それが響いてないと成り立たないとなると、これ勉強してない人間に理解しろって方が無茶だよ。

 

 

新時代に合った新時代の俳句みたいなのを考えてたんだけど……思いつかない。結局すでに完成されていてこれ以上発展の余地がないのだろうか。それだと衰退するままなんだけど。

 

ただ、短歌は短歌で人口少ないんだよね。びっくりする。まだ俳句の方が人口が多い。何かにつけて言われるのは俳句だし。

 

つまり「理解しにくいが、どうせやるなら俳句」みたいな所がある。

 

Twitterとか流行ってるし、短歌絶対イケると思うんだけどな……俳句より短歌の方がとっつきやすいし表現の幅も広いのに。短歌の見向きされなさ凄いと思う。

 

でも俳句の腕もイマイチの段階な私が短歌の勉強するわけには……いつか勉強したいけどね。

 

自分にとって大切なのは「一語を大切にすること」だけど、だったら短文詩とかの方がいいかもね、って思う。

 

「ねえ、こんな月夜がずっと続けばいいのに」

 

とかね。ちょっと俳句っぽい。季語も入ってるし。

 

韻文詩としての響きはなくなったけどね。俗っぽい。でも川柳や標語ではないから、まだ川柳に比べたら俳句っぽい。紋切り型であるとこは微妙だけど。

 

ずっとこの月夜が続けばいいのに            秋雷

 

あ、これだと文字数的には俳句なのか。句またがりだけど。

 

散文型句またがりの句に可能性を見出したらいいのかな。でも韻文詩としての美しさは雲散霧消するわけなのだが。

 

どこまでも白い空秋雨続く               秋雷

 

こんな感じ? ちょい新しい感ある。すでに誰かがやっている新しさだけど。自由律俳句とか。さすがにあそこまでいくとはたして俳句なのか。

 

でもこれ一般の人良さわかるん? 結局、同じところをくるくる回ってない?

 

 

若い子のやる気がある。

どうも若い子ほどやる気があるように感じる。

 

若いってすごいな。恐れを知らない。

 

色んなことに関心を持ち、色んなことをやってみたがる。そして実際にやってみる。エネルギーに圧倒される。

 

若い子から学ぶことも多い。そういう意味では、ここは良い。いろんな人がいて、いろんな影響をうけられる。

 

雨月ぼんやりと白けり濡れ鼠              秋雷

やべえ、また書きそびれる所だった

あっぶねえ。

 

最近は割と忙しい共生舎だよ。出稼ぎで人口減っている上にタスクが舞い込んでいるせいで、結構みんな忙しそう。私も加工場の建設を手伝ってますよ。

 

ニートとは何か、と考えたくなる。まあ、偶には忙しくもしないとね。ずっとぐうたらでも良くない。

 

中道をいくのがよいと釈迦牟尼世尊アポロン陰陽道も言ってるしねえ。何かに偏るのが良くないと。働きすぎて病むのも良くないし。働かなさ過ぎて病むのも良くない。まあどちらかといえば働かないペースが多いのが私たちだけれども。

 

全く働かないでいるのは、反対だな。私は。うん。おまえが言うな感半端ないけれども。

 

秋の夕の海へ入るまで莫迦のままで       秋雷

 

二字あまりな上に、どうにもたたらを踏むようなどんづまった句。でも惜しい感ある。なんかちょい直したらよくなりそうだけど、直してたら毎日更新記録を逸すので申し訳ないがこのままで。すまぬ。

昨今、月が明るいのでライトが要らない

たったこんだけのことで嬉しくなる。人里に居る間には湧かなかった感情である。

 

月が明るいから嬉しい。虫が鳴くから嬉しい。星が綺麗だから嬉しい。風が気持ちいから嬉しい。

 

そういう些細な嬉しいに気づけるだけの心の余裕というのも、人里にはないものだ。

 

当来、人間の精神というやつは繊細なもので、ほんの少しのことで一喜一憂できるはずなのだ。自然の移り変わりを感じて惜しいと思うも歓迎するのも、余裕があるからである。日々みながみな忙殺される人里で、「秋がどんどん少なくなってるよ」なんて言おうものなら不思議ちゃんあつかいされて終いである。

 

精神が麻痺して何を見ても何も感じず、月は月、虫は虫、風は風としか思わないのが人里にいるころの私だ。些細なことでイライラするも、些細なことで喜んだりはしない。

 

不幸なるや。

 

石という石はなく、草という草はなく。人という人もいない。

 

 

思えば自分の書く文章というのは「色が薄い」。

 

色彩が褪せているというか、淡々としすぎていて面白みがない。空(くう)は空のままで色のない。

 

色不異空空不異色色即是空空即是色。というのは般若経の一節であるがまことにその通りで、空をそのまま空とするのは愚か愚かしいものだ。空に色を付けるべきで、それにはどうすればいいのか。

 

思うに、心の余裕無き文章を書くからして、色が無いのでないか。色とは遊び心に思う。遊びというのは余裕である。遊びがあるものは色がつく。そういうものではなかろうか。

 

思えば人里に入る頃の私は色の無い人間。今ほど色を持つこともない。とおもえば、今なら色のある文章を書ける気はする。

 

 

まあ、般若経の色即是空って上記のと意味違うけどね。

 

ごめんねあまりに月が明るいので             秋雷

 

散文調。意味深。こういうのもあっていいと思う。

また共生舎に帰った

本日は満月なのかな?

 

月光の元で霞がかった山が静かにただずんでいるのも、昔話にでてくる山みたいで風情あるものだ。

 

やっぱ山は良いね。他の山奥ニートらとどうでもいい話を延々としていた。笑いが絶えない。移動後だったから割と疲れてたんだけど、楽しくってしょうがない感じだった。

 

月光や世界はやさしい嘘で満つ                   秋雷

 

居場所を置いといてくれる優しさがうれしいねえ! どこにも居場所の無いと思っていたころは世界を呪ったものだったよ! こんないいものだったのですねえ。