学校は一部の生徒にとって「自尊心破壊装置」でしかないので、そういう子は通わなくって良い。

いろいろ昔の事を思い出して鬱になっていた。

 

中高の思い出がクソすぎて、小学校まではまだマシだと思い込んでいた。今ちゃんと思い返してみれば、中高と何ら変わらない。酷い思い出のてんこ盛りだった。

僕にとって、学校という場所は「自尊心破壊装置」でしかない。行かなきゃよかった。なぜ通ってしまったんだ。そう思ってしまう。

 

 

小学校のころ、僕は非暴力的な子であった。博愛精神に満ちていたわけじゃない。単に身体的に劣るからである。体躯が小柄で筋量もなく、貧弱な僕は喧嘩すれば必ず負ける。負ける喧嘩に得なんかない。だから誰にも暴力を振るわない子だった。

 

まあ、僕が振るう振るわぬに関わらず、殴られるときは殴られるわけなんだが。

 

主に僕は殴られる側の人種だった。小学生にとっては実に当然の成り行きであった。体躯の劣るものが体躯の勝るものに蹂躙されるのは、小学校ではリンゴが木から落ちるよりも当たり前の事象だ。

 

そんなとき、僕は一切抵抗もせず、ただ殴られてすぐ泣くことにしていた。情けないとは思うが、それが被害を最小化する法であったので戦略上間違ってはいない。変に抵抗する方が被害が広がる。少ないダメージでおさえるにはそうした方が合理的だった。

 

そんな騒ぎを起こせば先生に見つかる。見つかれば僕を殴った生徒は怒られる。ここまではいい。それからだ。

 

「ピエール君は『やめて』って言ったの?」

 

教師が僕にこう訊く。泣くのに必死でそんなこと言っていない。僕は首を振る。

 

「なんで『やめて』って言わなかったの。嫌なら言うべきでしょ。『やめて』って言わなかったピエール君が悪い」

 

そう言われて怒られた。その時はそうなのか、と納得してしまった。小学生にとって教師の言う事が法律みたいなものだ。教師が言うのなら、僕が悪いのだろう。

 

今冷静に考えて、暴力を振るわれた側が悪いなんてことがあるわけない。いかなる理由あれ、暴力をふるった側のみを断罪するべきで、被害者をなじるなんてことがあっていいわけない。しかし僕も悪いんだ、と思ってしまった。あの時の僕にとって、教師は間違えない存在だった。口答えをしたらさらに怒られるんだろうし。

 

次に同じことがあったとき、『やめて』と言った。加害側はやめてくれなかった。

 

その後教師に、正直に

 

「『やめて』って言いました。やめてくれませんでした」

 

そういうと、教師は

 

「じゃあ伝わらなかったんだからピエール君が悪い。伝わるように言わないから」

 

そう言って、僕を叱った。何故伝わるように言わなかったの。

 

なるほど、僕が悪いのか。そう思った。

 

それ以後、殴られて怪我しても、僕は自分で転んで怪我をしたことにした。だって正直に言えば殴った側に恨まれるし、しかも教師に「お前が悪い」と叱られる。損でしかない。自分で転んだことにしておけば、それ以上損益が広がることはない。当然の選択だった。

 

今思えば、それが教師の戦略だったのだろうなあと思う。「暴力の報告」が無くなるということは「いじめの報告」が無くなるということだ。結果、見かけ上はいじめの無い学校にできる。

 

当時、僕は教師の事をいい先生だと信じていた。だからそんな悪意には気づけなかった。全部自分が悪いんだと思っていた。誰にも助けを求められなかった。自尊心なんてなかった。

 

結局、教師は自分の保身しか考えてなかったんじゃないか――。

 

マシだと思っていた小学校時代ですらそんなもんだ。中高も酷い。何で学校なんて通っちまったんだって、僕は今になって後悔している。そのころの後遺症は未だに引きずっている。不登校になれたら、傷は浅いままですんだ。なんで、学校なんか……

 

そもそも、今の僕は山奥ニートだ。昔就活したときも、面接で全部落とされた。役に立たない学歴なら、高卒だろうが中卒だろうが一緒じゃないか。

 

なんで胃に穴を開けそうになり、ストレスで腸が痙攣し、嫌すぎて熱を出したり過呼吸になったりしながら、学校行ってたんだ? 何で「死にたい」と「殺したい」を交互に抱きながら、あんなところに通ってたの。バカじゃないの。結果、何も得られてない。学校で学んだことは悪意と憎悪くらいのものだ。

 

学校行かないことが悪、みたいな風潮、やめにしよう、って、本気で思う。何で世間の人は不登校や引きこもりを悪し様に言うのかな。本当に悪いのは学校そのものでしょうに。

 

僕から言わせれば、不登校児や引きこもりは、僕と違ってきちんと自己防衛できたわけで、つまりは自己管理に長けるわけで――とどのつまり、僕より優れてるんじゃないか? ちゃんと、「自分は学校に行かない方が良い」って自己判断できて、それを実行に移しているわけなんだから、それができないで無意味に学校行って無意味に苦しんでた僕なんかよりずっと、ずっと立派に思える。

 

不登校児も引きこもりも悪くない。悪いのは「自尊心破壊装置」である学校だ。

 

願わくば、もっとずっと気軽に不登校児や引きこもりになれる社会になりますように。僕みたいに無意味に苦しむ子がいなくなりますように。

 

苦しんだ結果、死んでしまう子だっているんだぜ。学校なんて何の役にも立たないもんのせいで死んでしまう子がいるって、僕はもう怒り心頭だよ。そういう子は学校が殺したんだ。自殺じゃない。学校が、その子を、殺したんだ。許せない。

 

僕個人の理想を言えば、この世の学校すべてに火を放って回りたいくらいだが、まあ学校という場に救われている子もいるんだろうしな。みんながみんな僕みたいに学校を憎んでいるわけじゃないんだろう。だから学校が無くなったらだめなんだろう。でも、きっと僕らが思っているより、多くの人が、学校に苦しめられてるぜ。きっと。

 

学校に苦しんでいる人が、「学校に行かない」選択肢をちゃんととれるようにしてあげてほしいよ。もう僕は手遅れだし、僕以後の子が僕みたいな思いをしないでくれって思うしかない。「学校に行かない」ことが悪いことじゃない。行きたく思えない学校の方が悪いんだって、そういう認識、広がってほしい。

 

何にせよ、「学校に殺される子」がいなくなりますように。

 

花散りぬ斜陽学舎の影引き摺る             秋雷