独自の文体ってやつを編み出したいなあ

日本人の小説家ってやつは、文体に特徴があるケースが多い。作家ごとの「背後で爆発音があった」まとめみたいなんを読むたびにニヤニヤしてしまう。なるほどね、そうだよね、って思う。

 

結構、文体に特徴のある作家が好きだ。森見登美彦とか矢部嵩とか。

 

矢部嵩は不安になる文体の割に情景だけはスッと頭に入ってくるから不思議だ。スラスラ読みこめる割に不気味な違和感ばかりが心にしこりとして残る。ホラー向きの文体だ。淡々としているようで、飄々としているようで、その実、べったりとした不穏な空気をまとっている。好きだなあ。ああいう文体憧れるなあ。

 

まあ、独自の文体云々よりも普通の文体をこなせるようになるべきだろうけどなー。文章下手だから……。

 

小説書くたびに文章で躓くんだが、でもこれに関しては最近、クリアできる気がしている。違和は間違った部分があるから違和なので、それを見出して逐次消していけばいい。時間はある。時間をかければいい。

 

独自の文体ね。思うに同じものを見た時にどこを見て何と評するかにあるように思う。背後で爆発があったなら、その爆発に対して何と思ったか。どこに着眼するか。それが

平凡であるなら、独自には程遠い結果になろう。

 

自分は人称で言えば、一人称で書くことはあまりないんだけど、とは言っても三人称っていう三人称も書かない。いわゆる「一人称型の三人称」ってやつ。いいとこどりの。でもこれクセモノよねー。いいとこどりであるが故に、どこまで一人称に寄せていいのかわからん。結果、ぐずぐずになってたりする。好きなんだけどね。っていうか一人称で書くの嫌いなんよ。主人公の「我」を前面に押し付けられている気がして辟易する。作者がパペットマスターなのか、それとも主人公が作者をパペットにしたててるのか。どうあるのが正しいだろうね。

 

とりあえず、はっきりと書こう。この言葉は要るから入れるのだという意識をもって書こう。そういうの大事だと思う。それだけの集中力が続けばいいのだけれど。

 

サイダーの泡に溶けゆく夜の景              秋雷

 

もうやる気なさ過ぎてブログ記事と欠片も関係ない俳句だわ。なにこのおしゃれ俳句っぽいおざなりな句は。シャンパンとか言わずサイダーとか言っているあたりがアダルトチルドレンの私っぽいけどな。