寸鉄殺人

割と好きな言葉シリーズ。寸鉄殺人。


前回の猿猴捉月 に続けて紹介したい。

 

訓読すれば、寸鉄人を殺す、で、小さな刃物でも急所を突けば人を殺せるということ。つまりは、的を射た一言の意味。

 

言葉を表す語であるが、殺人などと言う物騒な語を内包するあたりが好きである。

 

的確な一言を以てして急所を突き人を殺しむる。これ、文章書きにとって究極の境地ではなかろうか。

 

 

創作においての色々な話をGくんとよくする。Gくんは「穴を開けたい」って言ってたな。良い作品を鑑賞しきると、喪失感から胸にポッカリ穴が開いたように感じる。あの感覚を他人に植え付けたいんですよって言っていた。いい表現だ。彼の創作の原動力はそこなのだろう。

それで言えば、私は「人を殺したい」となる。ああ、死んだ。と思わせるのが究極の目標地点だ。

 

名作を読むと、作品に没入しきるが故にこの世にいないような心地になる。この世にいないのであれば死んでいるに等しかろう。それに、その作品に出合った私と出会う前の私とは最早別人であろうし、であれば出会う前の私は死んだことになろう。

 

それに、良い表現にぶつかったときに感じるあの感覚に触れるにつけ、「あ、死んだ」と思う。麗しい女性に目配せされ、恋情に胸を射抜かれるときも、あのように死ぬのだと思う。恋に落ちる音も命を落とす音も大差あるまい。なにせその瞬間は呼吸を忘れて魂をこの世非ざる所へ持っていかれるわけだから。

 

心臓に触れられるが如き瞬間である。無論、死ぬ。

 

喪失感を与えたいというよりも、生命の喪失感それそのものを与えたいのが私だ。魂をこの世非ざる場所へ引きずり込みたいのだ。

良い表現、良い作品は胸を突く。当然、胸を突かれれば死ぬ。

胸が痺れる。胸が痺れれば死ぬ。

 

胸を焦がす。胸を焦がされれば死ぬ。

 

胸を引き裂かれる。胸を引き裂かれれば死ぬ。

溺れる。溺れれば死ぬ。

 

息が止まる。息を止められれば死ぬ。

 

無論、一時その感覚に陥るというだけで、本当に殺戮者になりたいというわけではないのだけれど。しかし疑似的に死を与えるというのは最早神の所業ではなかろうか。

 

一言を以てして人を殺す――寸鉄殺人。これは私にとって文章の最終境地と言えよう。

 

俳句がわずか十七音で花鳥風月を閉じ込められるのであれば、一言を以てして人を殺すこととて可能であろう。急所を突けば人は死ぬのである。テクニカルな一語を持ちいれば人を切り裂くこととて難しくはない。

 

その瞬間のために全てを組み上げ盛り立てて、クライマックスにまで持ち込み、その一語によって読者の心を撃ち抜いて殺す。そんな小説。

 

書けたら最高だなあ!

 

もはやその境地に至れれば言うことは無い。

 

殺人を仄めかしける秋の月            秋雷

 

果たしてそんな境地に至る日が来るのか、と。死神の座に手をかけるわけで、それは人の領域を超えていやしないか。私は凡人である。少し烏滸がましい目標やもしれぬ。

まあよい。大志を抱いても損はない。志低くとも得は無い。ならばよかろう。私はその血塗られた冥府魔道を歩みたいのだ。